「心に咲く花会」樋野興夫コラム

一般社団法人がん哲学外来 理事長 樋野 興夫(順天堂大学 名誉教授)コラムです

第18回『一億本の向日葵』 ~カナリアとなる~

第18回『一億本の向日葵』

カナリアとなる~

新しい年、平成から新たなる時代への大きな変化の年を迎えました。皆さまにとって実り多き一年になることを感じております。本年も宜しくお願い申し上げます。

 

先日、『心に咲く花』会のさくら担当も務めて下さっている星野昭江さんが、運営に携わる『佐久ひとときカフェ』に参加させて頂いた。今回で92回を迎える『佐久ひとときカフェ』と共に歩んできた運営スタッフの方々の“受け入れる力=頑丈な空っぽの器”にはいつも学びを頂いている。今回のカフェでは、小諸市在住の男性が家族性大腸線腫と共に歩んできた半生についてお話をして下さった。今までも、そしてこれからも病と共に歩む。免れない遺伝性の病や、旅立ったご家族への思いや寂しさを抱き生きる中で、それでもいつも穏やかに、愛情深く接して下さるあり方に深く深く感動した。お話の後に、一人ひとり感想を述べた。がん哲学外来市民学会事務局を務めていらっしゃる片桐孝子さんは、「病や苦難と向き合う時間はとても神聖なもの。日常を取り戻していくと少しずつ薄れてしまう。この場はそのことを思い出させてくれる大切な場所。」と語られた。病、大事な人との別れ、苦難と向き合うことは、決して簡単ではない。しかし、感覚や感情が研ぎ澄まされるこの時間は本当に“神聖な学び”を与えてくれるのだと、今まで接してきたたくさんの方々のお話からも実感している。

私自身が病と向き合い始めた頃、“心ない言葉”を投げかけられることもあった。その時に「その言葉は本当だろうか。私がカナリアとなり、確かめよう」と思った。カナリアは、一般的に家庭でも鳥かご等で飼われている可愛らしい鳥だが、いち早く毒ガスを探知する特性(普段は常にさえずっているが、異変を感じると鳴きやむ特性)から、昔は炭鉱の掘削作業時に警報として使用されていたという。感覚や感情が研ぎ澄まされる“神聖な学び”の時、私たちはカナリアのように敏感になり、今までいた社会に生きづらさを抱く。私の場合は、“誤魔化せなくなってしまった”と感じたのである。病、大事な人との別れ、苦難と向き合う、この神聖な学びの時間は、大切な何かを思い出させてくれる。大切な何かを思い出せたのなら、樋野先生から教わった『人生には順境も逆境もない』という新渡戸稲造の教えが自分の中に生きてくる。“思い出した大切なこと”は人それぞれ違うと思うが、きっと生きづらさのある社会で緩衝材の役割、カナリアの役割を果たすのだと私は考えている。

[caption id="attachment_1006" align="aligncenter" width="423"]1月5日佐久ひとときカフェ 左から、ダンス教室主宰土屋先生、星野先生、齋藤[/caption]

ひまわり担当🌻齋藤智恵美