「心に咲く花会」樋野興夫コラム

一般社団法人がん哲学外来 理事長 樋野 興夫(順天堂大学 名誉教授)コラムです

第43回『一億本の向日葵』~自分と二人きり~

第43回『一億本の向日葵』

~自分と二人きり~

数日前、私は車で40分程離れたところで一人暮らしをしている祖母を訪ねました。忙しさに気を取られていた私は、祖母と2か月ぶりの再会となりました。二人でドライブをし、お昼を食べ、食品や日用品の買い物を手伝いました。ずっと元気で過ごしていたとはいえ、気付けば86歳になっていた祖母。ドライブをしながら「なかなか会いに来れなくてごめんね。」と伝えると、「ちーちゃん(私)やお母さん(私の母)が来てくれるから嬉しいよ。」と優しい笑顔で答えてくれるのでした。少し小さくなった祖母からの優しい言葉を聞いて、きゅーっと喉の奥が詰まり、涙が溢れました。それを何とかごまかしながら、私は祖母を送り届け、いつものように「また来るね!」と車から手を振って祖母の家を後にしました。それから3日後、祖母はたまたま来ていた電気屋さんの前で倒れ、救急車で病院に運ばれたと連絡を受けました。現在も命を繋いでくれている祖母ですが、意識はありません。晩年になって、祖父(夫)叔父(息子)を不慮の事故で突然亡くし、一人暮らしとなった祖母ですが、私たち離れて暮らす家族に寂しさや愚痴を漏らすこともなく、私たちを励まし続ける強い人でした。私が息子の事で悩んでいても、「心配しなくても、しゅんちゃん(ひ孫)は大丈夫だよ」といつも励ましてくれるのでした。家主が不在の寂し気な祖母の家。ダイニングテーブルの端には、いつも置いてある書類箱と家計簿、そろばん。でも、そこにはいつもは置いていない祖母の手書きのノート、手紙がありました。その中には家族への感謝、先立った家族との心の中の対話、一人で過ごすことの寂しさ、お別れの言葉などが、時に涙と共に、時にユーモアと共に書かれていました。まるで息をしているかのように生命が宿ったその文章には、祖母や母、妻、という役割を超えた祖母の姿がありました。「なんでもう少し甘えてくれなかったの?」という悔しさや寂しさと共に、嗚咽しながら何度も何度も読み返しました。しかし、私は最後の一文で私はグッと肚の底に力を込めることになりました。

「今まで私という人間に付き合って生きてくれて、本当にご苦労様でした!博美君」

祖母の名前は博美。祖母は自分自身にもお別れを告げていました。いつ書かれたものなのかは分かりませんが、きっと最近のものでしょう。元々さっぱりとした性格の持ち主ですが、ここまではっきり書かれていたことにとても驚きました。この命の行方は、祖母にお任せし、見守るしかないと思っています。

どうしても分かち合えない悲しみや寂しさを感じた時、祖母は自分と二人きりで対話をしていたようです。自分との付き合いを終えて肉体を離れていこうとする時、自分と二人きりの世界がそこにはあるのかもしれません。そして、私は私から見えている「誰か」の姿はその人のただ一つの側面であることを、改めて考えさせられています。

ひまわり担当🌻齋藤智恵美