「心に咲く花会」樋野興夫コラム

一般社団法人がん哲学外来 理事長 樋野 興夫(順天堂大学 名誉教授)コラムです

第61回『一億本の向日葵』 ~ただただ生きたいいのち~

第61回『一億本の向日葵』

~ただただ生きたいいのち~

今日は長野県大町保健事務所主催の「北アルプス地域におけるがん対策推進のための講演会」の演者として北アルプス医療センターあづみ病院の病院祭でお話させて頂きました。大町保健事務所の皆さまにこのような機会を頂けたことを心から感謝しております。

初めての講演ということもあり、自分ががん哲学の活動を通して何を感じてきたのかをじっくりと考える機会になりました。私は樋野先生が提唱されるがん哲学に私の持つ問いへの答えを見つけに出かけました。その問いは「なぜ私はがんが分かった時に、落ち込むこと悲しむことがなかったのか」です。私は現実を受け止められていないのか、家族への思いが足りないのか、自分の生への思いが薄いのか・・・。何かがおかしい。その答えが知りたいとずっと思っていました。見えそうで見えない。掴めそうで掴めない。それを行ったり来たりしながら過ごしていました。きれいに晴れた今日、北アルプスと並行して車を走らせあづみ病院へと向かう途中に、ハッとあることに気が付きました。

この地域の方にとって身近なもので哲学的要素が入るもの=農作物(いのち)を扱う農業。植物の成長にも様々な学びが存在しているはずで、樋野先生は顕微鏡を通して診たがん細胞の世界から哲学的な学びを得ているのと共通する部分がある思ったのです。ではなぜそれが、私が落ち込まないことに繋がるのか。それはいのちというキーワードの捉え方によるものなのです。私にとってがん細胞も一つのいのち。「がん細胞である自分が母体となる人の体に悪影響を及ぼし、その後共にいのちを終える可能性を知らないがゆえに、ただただ今を懸命に無邪気に生きているいのちである。あなたのいのちを私が生きるために犠牲にすることを許してほしい。」そんな風に思っていた自分に気が付きました。周りの人たちのがん細胞に対しても、「おとなしくしていてね。私の大切な人を苦しめないでね」と思っています。農業においての害虫や害獣も、ただただ生きたいいのちなんだ、自分が及ぼす影響に気付くことができないのだと思うと、敵対の気持ちが和らぎます。樋野先生ががん哲学の中で、がんの知恵に対する敬意を書かれていたのを読んで救われた気持ちになったのは、それゆえの事でした。これを自分の言葉として話すことはとても勇気のいることでしたが、お話することで私の胸にもスッと落ちていくのを感じました。

講演後、車の鍵や財布、携帯電話など大切な荷物を載せた自分の車にロックがかかってしまうというハプニングに見舞われましたが、あづみ病院の親切な看護師さんに助けて頂き、できてしまった3時間の空き時間を利用し病院祭を見学し、カフェでたまたま隣同士になった笑顔のすてきな初老の女性と海や川での魚取りやおもしろ川柳などの話をして、有意義な時間を過ごしました。360度素晴らしい景色が広がるあづみ病院はとてもとても温かい病院でした。

ひまわり担当🌻齋藤智恵美