「心に咲く花会」樋野興夫コラム

一般社団法人がん哲学外来 理事長 樋野 興夫(順天堂大学 名誉教授)コラムです

第64回『一億本の向日葵』~「誰かのために何かするといいね」のわけ~

第64回『一億本の向日葵』

~「誰かのために何かするといいね」のわけ~

この拙い文章を読んで下さる皆さま、いつもありがとうございます。絞り出しながらも、一所懸命に綴っております。私の中に溢れるほどの何か「書けるもの」があるわけではなく、毎回その源となるものを探し、確認しながら言葉として綴っている。言葉通り、絞り出す作業です(;’∀’)

個人面談やメディカル・カフェで、樋野先生から直々に「誰かのために何かするといいね~」と声をかけられた方がいらっしゃると思います。自分の事で精一杯なのに誰かの為なんて・・・と怯む気持ちにならないでもありません。もう少し元気になったら、もう少し十分になったら・・・と思う人もいると思います。私にもそんな気持ちがあります。実際に自分の事以外に時間を費やすことで、悩む時間や孤独な時間が減り、誰かの役に立てたという嬉しい気持ちも感じることができます。人は本来誰かの役に立ちたい生き物なのだということも実感します。

プラス×マイナス は マイナス

マイナス×マイナス は プラス

樋野先生のご講演を聴いたり、ご本を読んだことのある人はご存知だと思います。主観的な捉え方で違いはありますが、一般的に病や心の痛み、社会的な痛み、経済的な不安を抱える時、人は自分をマイナスだと感じるのだと思います。逆に健康で幸せで色々な面で満たされている時、人は自分をプラスだと感じるのでしょう。プラスの人がマイナスの人に接する時、自分の中にすでにあるものを与えようとすると思います。「あげる・与える」に近いのかもしれません。マイナスの人はそれを受け取り、一時的に少しプラスになる。しかし、自分がマイナスであることには変わりないことを実感することもあるでしょう。マイナスの人がマイナスの人に接する時、ないなりに自分の中にあるその人を力づける何かを必死に探して手渡します。その究極が「私には与えられるものは何もないけれど、あなたの力になりたい」という寄り添いの“想い”なのだと思いますが、それは自分以外の誰かという存在があって初めて引き出されるものであったりします。自分が痛みを抱える時、人の痛みに触れることを辛く感じてしまうこともあると思います。しかし、その辛さはただただ自分の中に返ってくる今までのような孤独な辛さではなく、寄り添うことに欠かせない想像力を養う、他者との繋がりを持った故の大切な辛さだと思えば、それも自分の引き出された力の一つになるのではないでしょうか。マイナス×マイナスの関係性は、双方向に働き、お互いの“何か”を引き出し、「ない」と思っていた自分の中の「ある」を見つけ出します。そうなれば、マイナスではなくプラスです。私が『一億本の向日葵』を書くときに、ない!と思っている自分を覆し、源を探り当て文字に起こしていく作業のように。マイナスのまま、病や痛みを抱えたまま、「誰かのために動く」時に生まれるのは、自己犠牲を伴う自己肯定の気持ちや「頑張ってるね」という承認ではなく、ないと思っていた自分本来の力や魅力です。辛さを抱えているからこそ、病を抱えているからこそ、マイナスだからこそ、「誰かのために何かやったらいいね」。その先に “あるがままの自分”への信頼が生まれるのかもしれないと思いました。

ひまわり担当🌻齋藤智恵美