「心に咲く花会」樋野興夫コラム

一般社団法人がん哲学外来 理事長 樋野 興夫(順天堂大学 名誉教授)コラムです

第66回『一億本の向日葵』 ~「デスカフェ信州」に参加して~

第66回『一億本の向日葵』

~「デスカフェ信州」に参加して~

12月6日㈮の朝、私の住む松本市も薄っすら雪景色となりました。学校に一番早く登校したい!という小学1年生の息子は、雪が降るまだ薄暗い朝の6時半に、元気に登校していきました。北海道に住む義姉が、甥っ子が小学校低学年の頃、「なぜか毎朝早く出て、しかもダッシュで登校するんだよ(笑)!」と言っていたのを思い出して、同じだなぁ~男の子は面白いなと思う今日この頃です。

先週の日曜日、私は松本市内で開催された「デスカフェ信州」に参加させて頂きました。みらい葬祭エンディングハウスあかりさん主催、グリーフケアの活動をされているケア集団ハートビートさん、信州大学医学部保健学科の山﨑浩司先生を中心に、信州大学長野大学、松本短大の学生さんによって運営された「デスカフェ」は、立場や年齢を越えてみんなが共通して持つ「生と死」について、【3つのテーマ①最期にどんなものを食べたいか②死のイメージ③どんな風に死を迎えたいか】を掲げ、語り合う活気ある空間でした。8割が学生さんという中ではありましたが、「死」をテーマに語り合うのに年齢の差は全く関係がなく、真っ直ぐな交流の時間を持つことができて、とても嬉しかったです。私は3つのテーマで「死」を考える中で、自分の思考が“誰かの死”と“自分の死”を行ったり来たりしていることに気が付きました。そして、私が普段考えている「死」の多くは、自分の死を除いたものであることにも気が付きました。自分の最期を想像していくと、ある段階で急に霞がかかり、分からなくなる。“自分の死”というのはとても掴みにくいものだと感じました。色々の方のお話を聴く中で、「死のイメージ」は今まで経験した誰かの死であったり、出会った本、テレビや映画で描かれる死によって作られ、普段触れることの少ない自分の死生観が静かに構築されているのだということを感じました。また、死後の世界についてもたくさんの事が語られました。本当のところは誰にも分からないのですが、その死後の世界のイメージが今生きている自分を安心させるのか、不安にさせるのか。自由にするのか、不自由にするのか。希望を生むのか、絶望を生むのか。改めて時間をとって考えてみたいと思いました。

言葉にしてみると、今まで気が付かなかった自分の想いや、大切していること、大切にしたいことが出てきます。それらが語られる時、それぞれの方の表情がとても柔らかく、優しくなります。

そういった時間を共有できることを幸せに思いました。

ひまわり担当🌻齋藤智恵美