「心に咲く花会」樋野興夫コラム

一般社団法人がん哲学外来 理事長 樋野 興夫(順天堂大学 名誉教授)コラムです

第72回『一億本の向日葵』~祖母とのお別れ~

第72回『一億本の向日葵』

~祖母とのお別れ~

昨年7月に脳出血で意識不明となり、寝たきりで過ごしていた祖母が今月の15日に突然旅立ちました。小康状態であったものの、まだこの時間が続いていくと思っていた私たち家族にとって、前触れもなく突然訪れた別れのように思われました。不思議なもので、命を失った祖母の顔を見ていると、ソファに座るいつもの祖母の姿が見えてきます。会話すらできる気がします。この感覚はきっと私が命を終えるまで失われることがない、命を手放した祖母からの永遠のプレゼントなのだと思います。

ここ数年、ACP(アドバンス・ケア・プランニング)「人生会議」という言葉をよく耳にするようになりました。厚生労働省のホームページでは「人生会議」とは、もしものときのために、あなたが望む医療やケアについて前もって考え、家族等や医療・ケアチームと繰り返し話し合い、共有する取組のことです。と表現されています。自分がどのような死を迎えたいか、延命治療について、最後の時間を過ごす環境などについて、本人を中心に話し合うことと私は解釈しております。以前の「一億本の向日葵」にも書いたことがありますが、祖母は自分の死期が近いと感じていることや、自分の人生に対しての労いと別れの言葉などをノートに書き記してありました。そして、正式なものとしては判断に迷うところですが、使い終わったカレンダーの裏紙に「遺言」も書いてありました。それらは、ダイニングテーブルの上にきれいに整理された状態で置かれていました。一人暮らしをしていた家も無駄なものを置かず、遺された家族が困らないように十分に配慮されていました。そこまできちんと準備していた祖母の想いはどうだったのだろう。意識を失った今、どうしたいのだろう・・・。意識のない低空飛行を続ける祖母に体に、栄養を入れるための胃瘻(いろう)手術をするかしないかの判断が必要になった時、私は祖母のノートのことを思い、母に「おばあちゃん、ノートに自分の体とのお別れの言葉を書いてあったよ。もういいってことじゃない?」と伝えてみました。「でも、生きられるのならやりたい。」それが、祖母の娘である母と息子である叔父の出した答えでした。それから2か月後、どこかしらモヤモヤしていた私は、樋野先生のラジオ番組「樋野興夫のがん哲学学校(ラジオNIKKEI)」にゲスト出演された玉置妙憂さんの存在と訪問スピリチュアルケアの存在を知り、興味を惹かれ、玉置さんの開く「養老指南塾」という2日間の講座に参加しました。そこで取り組んだ模擬人生会議で、私はたまたま主役のおばあちゃん役のくじを引きました。話し合いの内容も「認知症が進み、食事が十分に取れなくなった祖母に胃瘻を設置するかしないか」について。設定の「おばあちゃん」になりきって、いろいろ感じてみました。そこで見えてきたのは、おばあちゃんの中での揺れる思いとふっと浮かんだこんな言葉でした。「ふみえ(娘)とまさよし(息子)へのプレゼント」。おばあちゃんはお別れの時間というプレゼントを大切な母と叔父に残すことに同意している気がして、私はとても安心しました。胃瘻で栄養補給を始めてから約4か月。祖母は「もう二人は大丈夫だな」と感じたのかもしれませんね。

今は悩みに悩んで出した答えに間違いなんてないんだと思うようになりました。だってその根本は、大切な人や自分を想う愛なのですから。

ひまわり担当🌻齋藤智恵美