「心に咲く花会」樋野興夫コラム

一般社団法人がん哲学外来 理事長 樋野 興夫(順天堂大学 名誉教授)コラムです

第75回『一億本の向日葵』~今ここに在るという安らぎ~

第75回『一億本の向日葵』

~今ここに在るという安らぎ~

先日、母の通院に付き添いました。祖母(母の母)を亡くして間もないこともあるのだと思いますが、食欲不振や震えなど、今までに見られない症状が出ていたため、受診することにしました。初めて訪れた小さな医院の待合は、木のぬくもりがありました。ふきのとうをモチーフに使った生け花は、見ているだけで心配や不安が緩みました。

私は、祖母が祖父や叔父、愛犬を亡くした時から祖母が亡くなるまで、祖母の心のうちにある悲しみやグリーフに気が付きませんでした。そのことは私の中で、諸々の後悔や自責を含んでいます。決して蔑ろにしていたわけではありませんが、そこまで深くは気にかけていなかったのです。今回のことで母の中にどのような変化が起こっているのか、本当のことはわかりませんが、見守っていたいと思っています。

私たちの生きる時間軸には、過去・現在・未来があります。普段はそれほど「今どの時間を生きている」なんて気にも留めませんが、がん治療中で何もしない時間が多くなった時、私は「現在を生きる」ことが難しくなっていたと思います。私の思考が容易に、過去や未来に引っ張られていくのです。楽しい思考に引っ張られるだけでなく、向き合うことが苦しい思考にも引っ張られるため、その時間は決して心地よいとは言えませんでした。そのことに気付いたのは、かなり時間が経ってからのことでした。居心地の悪さから抜け出そうと、学んだり、行動してきたことで見えてきたものがあったからかもしれません。今では、現在の私を信じて応援してくれた過去があり、励ましながら見守ってくれる未来があることを信じることができます。いろいろな経過を辿る中で感じることあります。それは「今には安らぎがある」ということです。痛みや苦しみ、不快な症状と共にあったとしても、私はここにいるという感覚は不動の安心をもたらすように思います。心が柳のように、さわさわザワザワしても、今私の体がここにあることは変わりありませんし、たいていの場合は、安全が保たれ、大丈夫だと思える環境に身を置いています。深く呼吸をすること、暖かく手触りのいい毛布に触れること、外の音に耳を傾けることなど、私たちの周りには今の私の存在の証が散りばめられています。嵐に巻き込まれ自分が吹き飛ばされてしまいそうな時はきっと、重みを伴う自分の体が引き留めてくれるだろうと思います。

ひまわり担当🌻齋藤智恵美