「心に咲く花会」樋野興夫コラム

一般社団法人がん哲学外来 理事長 樋野 興夫(順天堂大学 名誉教授)コラムです

第83回「心に咲く花会」「学校では、学ばないことの 学び」 〜 悩んでいる時に 手を差し伸べてくれる 友達の存在 〜

第83回「心に咲く花会」

「学校では、学ばないことの 学び」 〜 悩んでいる時に 手を差し伸べてくれる 友達の存在 〜

昨夜、国際医学生連盟とのSkypeでの講演、そして講演後は、多数の質問を頂いた(22:00 〜 23:45)。 医学生の真摯な姿勢には、大いに感動した。 筆者のいくつかの著書を 事前に読まれていたようである。「学校では、学ばないことの 学び」が目的とのことであった。 

  • 言葉で 相手を傷つける。
  • 善意の言葉が 人を傷つける。
  • 人に対する 話し方。
  • 言葉で癒す 人になる。
  • 余計なお節介 と 偉大なるお節介の違い

「涙とともに、パンを食べた者でなければ、人生の味は わからない」(ゲーテ

「無邪気に喜んで、小さな事に、大きな愛を込める」(アルプスの少女ハイジ

も語った。 

北海道大学医学生もおられ、札幌農学校の校長 クラーク(1826-1886)、2期生の 内村鑑三 (1861-1930)、新渡戸稲造 (1862-1933) のことも語った。 内村鑑三新渡戸稲造の上にいた、新島襄 (1843-1890)、新島襄を支援した勝海舟 (1823-1899)も 触れた。 内村鑑三が 鬱的になった時、新渡戸稲造は、新島襄に「内村鑑三を 慰めてほしい」と お願いした。 悩んでいる時に 手を差し伸べてくれる 友達の存在は、極めて大切であること を述べた。

今朝、京都の立命館大学の田中真美 先生から「新島夫妻が 住んだ家」の写真が送られてきた(添付)。「新島は、1868年 明治新政府が立ち上がった時には、日本にはおりませんでした。 当時、打ち首される時代、脱国をして学びました。日本に英学校をと強い志がありました。1871年日本に帰国して、大阪で学校をする用地を求めましたが、駄目になり、当時、会津出身の山本覚馬が 副知事を務めており、彼が新島の為に奔走します。 今の同志社のたつ 薩摩藩の跡地で 英学校を開校します。 人ひとりは大切なりと 新島は 最初4人の生徒からスタートしました。 山本覚馬の妹、八重さんは、新島を支えました。」との メールを頂いた。 偶然にも「天空デーサービス万座」も、2020年3月 4人でスタートした。 まさに、「新島襄の志は 生きている」。