「心に咲く花会」樋野興夫コラム

一般社団法人がん哲学外来 理事長 樋野 興夫(順天堂大学 名誉教授)コラムです

第87回「心に咲く花会」 『医師の3か条』 〜 勝海舟・高橋是清・クラーク 〜

第87回「心に咲く花会」

『医師の3か条』 〜 勝海舟高橋是清・クラーク 〜

コロナショックで、ビデオ収録の講義『発がん機構総論』(聴講者ゼロ)に赴いた。 地平線の向こうを見ての心構えである。「勝海舟記念 がん哲学外来」のスタッフで「渋沢栄一記念 がん哲学外来」の代表である 勝海舟研究家の 江川 守利 氏 から下記が送られてきた。

『今日の新聞朝刊に国際通貨基金IMF)が1930年の大恐慌以来の経済後退とありました。 昭和の恐慌で思い出すのがダルマ宰相の高橋是清ですね。 実は高橋是清は若い頃に勝海舟に会っていて、その頃の高橋是清は書生みたいなものですから明治政府の参議兼海軍卿になっていた勝海舟になんか会えるのかと思って氷川の勝海舟邸に行ったら、玄関口に勝海舟がひょこっと表れて最初はお手伝いさんかと持ったら本人だったのでびっくりしているんですね。 そのことは高橋是清自伝に載っています。 この出会いは高橋是清にとって昭和恐慌を乗り切るうえで大きな力となったでしょうね。 氷川清話に「世の中は議論ばかりでは行かない。実行が第一だ。国が乱れて来たら、誰がこの日本を背負うだろう。国が乱れると、金が入用だから、今のうちに金を貯えるのが大切だよ。 しかしあまり急ぐと邪魔が出るから、いつ松を植えたか、杉を植えたか、目立たないように百年の大計を立てるが必要さ」とありますね。 今大変だからこそ慌てずに百年の大計を立てるーこれが勝海舟の姿勢で、その姿勢を高橋是清は学んだからこそ昭和恐慌を乗り切ることが出来たのではないでしょうか。正に今このような人物が必要なのですね。』

 また、「がん哲学外来さいわいカフェin茨城・筑西 」代表 海老澤 規子 氏からは、チューリップの写真と『日めくり:人生を変える 言葉の処方箋』(添付)が、送られてきた。 さらに 三鷹ネットワーク大学の「がん哲学外来・ピアカフェ」代表 酒井 久実代 先生から、協働研究結果報告書の図が送られて来た(添付)。 本当に、皆様の心意気と熱意には、大いに感激した。 2013年の筆者の『編集後記』の『医師の3か条』が、鮮明に蘇って来た(添付)。今日は、クラーク博士の「ボーイズビー アンビシャス デー」(1877年4月16日)とのことである。 人生の不思議さを実感する日々である。