第98回『一億本の向日葵』
~自分だけのいのちの音~
2014年の7月に乳がんの診断を受けた時、私の頭の中に一番最初に浮かんだ言葉は、「よし、もっと幸せになろう」でした。がんの診断に対してショックというよりは、おっとっと・・・そう来たかというのが、率直な感覚でした。なぜ、私はそんな風に受け止めることができたのか。3年間、がん哲学外来メディカルカフェの活動をする中で、ずっと探求してきていたような気がします。探求してきたものの、それは、たまたまそんな性格だったという要素が強いかなというところに今は着地しています。がんに罹患しても前向きに生きている人がクローズアップされやすく、そうでない自分を責めてしまう人も少なからずいらっしゃると思いますが、一人一人に一つの人生があるように、比べる必要もなければ、比べることなど本当はできないのだと思います。私たちの目の前にあるのは、ただただ自分の人生を生きること。
今、私は自分で歌を作って自分で歌うというチャレンジをしています。楽器を習ったこともなければ、楽譜を読むこともできない私ですが、共にチャレンジしている仲間の姿に励まされながら、私の体という唯一の楽器を柱に、歌を生み出しています。人生の中で様々な経験をされてきている仲間たちですが、歌を生み出すことに関しては、全員が初挑戦ですし、私のように楽器もできない方もいらっしゃいます。生まれてきた歌を聞かせてもらう機会がありますが、曲のジャンルも、歌詞の内容も、本当にそれぞれで個性的です。ただ共通して言えるのは、“その人から生まれている”というところです。生み出した歌はそこで終わりでなく、少しずつ育てていくのですが、生まれてきた歌はその人の命そのものだな・・・と感じます。それと同じで、がんと共に生きる命が、私たちの中から新たに生まれ、これから生きていく。残された時間に関係なく、それはとても愛おしいことだと思います。そして、呼吸や鼓動、私たちは生きている間、いのちの音を生み出しています。その音は、自分以外の誰の音でもない自分だけのものです。存在に価値があるというのは、そういうことなのかもしれません。
私が書いた歌詞の一つです。
生きていて 生きていて 鼓動の音を聴かせていて
いつまでも 灯りが消えるまで
思い出して 思い出して 呼吸の音を
応えるよ 細胞たちが よろこんで
詩もメロディもまだサビの部分しかできていませんが、途中経過であっても、生み出したものは可愛く思えるものですね。
ひまわり&パンダ担当🌻齋藤智恵美