今年(2022年)も残り3日となった。 12月28日夕方は、wifeと『西武園ゆうえんち』(所沢市)に赴いた(添付)。 まさに『多様性のある居場所=遊園地』を確認する時となった。 今朝は、2022年12月4日開催された【創立150周年記念 府民公開講座『がん教育京都モデルの開発』(主催:武藤倫弘 京都府立医科大学教授; 京都府立京都学・歴彩館に於いて)】の記念誌の寄稿原稿『人生の出会いの繋がり〜 京都の旅 〜 』を執筆した。 想えば、筆者は19歳の時、京都で、南原繁(1889-1974)が東大総長の時、法学部の学生であった先生と出会い、南原繁の著作を読み始めた。 そして、南原繁が師と仰いだ内村鑑三(1861-1930)、新渡戸稲造(1862-1933)、また南原繁の次の東大総長を務めた矢内原忠雄(1893-1961)へと繋がった。 現在、『南原繁研究会』の第3代目代表、『新渡戸稲造記念センター長』、新渡戸稲造から学んだ河井道(1877-1953)が創立した『恵泉女学園』の9代目理事長を拝命することになった。 原点は京都である。『人生の出会いの繋がり 〜 新渡戸稲造生誕160周年記念 京都の旅 〜』であった。
今朝は、快晴で、部屋の窓からは、壮大な雪の富士山を眺めた。 思えば、今は亡き母から、筆者の誕生の年の元旦の夢が『富士山』であり、幼児の時から『富士山子』と 毎日母に励まされたものである。 筆者の故郷(鵜峠)は無医村であり、現在約40名、空き家60%であろうか! 鵜鷺(隣の村:鷺浦で中間にある学校の名称)小学校、鵜鷺中学校も廃校になった。 幼年期、熱を出しては 今は亡き母に背負われて、隣の村の診療所に行った体験が、脳裏に焼き付いている。 強い印象を与えた言葉は『ボーイズ・ビー・アンビシャス (boys be ambitious)』 である。 札幌農学校を率いたウィリアム・クラーク(1826-1886)が、その地を去るに臨んで、馬上から学生に向かって叫んだと伝えられている言葉である。 クラーク精神が 内村鑑三、新渡戸稲造、南原繁、矢内原忠雄を生んだ。 人知を超えて、時は進んでいる。 そして、2003年に初版『われ21世紀の新渡戸とならん』(イーグレープ)、2018年に新訂版、2019年4月には英語版『I Want to Be the 21 st Century Inazo Nitobe』 (日本橋出版)が発行されることになった。 来年は、『われ21世紀の新渡戸とならん』出版20周年記念でもある。『人知を超えた 人生の不連続の連続性』を実感する2022年の年末である。