2024年11月27日 電車で、『東久留米駅ー>秋津駅ー(徒歩)ー>新秋津駅ー>府中本町ー>稲田堤ー(徒歩)ー>京王稲田堤駅ー>京王多摩センター駅』、そして、スクールバスで恵泉女学園大学に向かった。 帰りは、恵泉女学園大学からスクールバスで、多摩センター到着し、電車で『小田急多摩センター駅ー>経堂駅』から徒歩で恵泉女学園中学•高等学校に赴いた。 そして、『経堂駅―>新宿駅―>池袋駅-->ひばりケ丘駅』であった。 電車の中から外の景色を観ながら、心が慰めされた『電車の1日の旅』となった。
想えば、712年に編纂された『古事記』に登場する、医療の原点を教えてくれる大国主命の出雲大社から、8キロほど、峠を越えて 美しい日本海に面した『電車もない小さな村』が、筆者の生まれ育った出雲市大社町鵜峠である(添付)。 徒歩で『鵜鷺(うさぎ):隣の鷺浦地区と合わせて呼ばれている』小学校・中学校(小学校 & 中学校は廃校)に通い、また出雲大社に買い物に行ったのが、今回 鮮明に想い出された。 道端で、『シカ(鹿、Deer)』を見たものである。 昨年の年末に、アメリカのシアトルに住む娘家族の家の外で『シカ(鹿、Deer)』を見たものである(添付)。『人生の良き想い出』となった。
子供の頃、一人で海に向かって石を投げて遊んでいると、村の老人が、30メートルぐらい離れたところに黙って腰をおろしていた。 距離感を保って、【そっと温かく心配してくれるやすらぎ】。 こういう【やすらぎ】を【誰かに与えることが人生だ】ということを 『小さな漁村』が教えてくれたものである。
【背中に温かい視線を感じた教え】が 現在の『がん哲学外来』の方針につながった。 もし筆者が【都会で生まれ育ったシティボーイ】だったら、【鵜峠の経験】がなければ、『がん哲学外来の存在はなかった』かもしれない。 2012年に、鵜鷺小学校の体育館で、『鵜鷺メディカル・ビレッジ構想』シンポジウムが開催された。 そして【東京いずもふるさと会会報『出雲』第9号(2015年)の特別寄稿『鵜鷺メディカル・ビレッジ構想』】(添付)の機会が与えれたことが、今回鮮明に想い出された。『不思議な時の流れ』実感する日々である。