「心に咲く花会」樋野興夫コラム

一般社団法人がん哲学外来 理事長 樋野 興夫(順天堂大学 名誉教授)コラムです

第344回「心に咲く花会」 『人生のヒント』 〜 『壁を破る言葉』〜

この度、早稲田大学エクステンションセンター中野校から講座(全6回 土曜10:40~12:10)を依頼された。 テキストは、『新渡戸稲造 壁を破る言葉』(2023年三笠書房)(添付)とのことである。 筆者は、『はじめに』に『新渡戸稲造が残してくれた人生のヒント』を記述した(下記)。

【私は2008年に順天堂大学医学部附属順天堂医院で『がん哲学外来』を開設し、以来、がんにまつわる さまざまな悩みの解消につとめてきました。 がん患者さんの声に耳を傾け、苦しみを和らげるのが目的です。 それ以後、この動きは全国に広がり、私自身は、5000人以上の患者さんやそのご家族と面談してきました。

『がん哲学外来』をはじめたのは、私が がんの研究をする病理学者である以上に、新渡戸稲造の言葉に深い共感を覚えたからです。 私が面談者に差し上げる『言葉の処方箋』は、新渡戸を筆頭に私が尊敬する人物から学んだ人生哲学のエッセンスであり、それが私の生きる基軸にもなっています。 だからこそ その処方箋を、病気に悩み、苦しむ人にわけたいと願って、この活動をはじめました。

私は以前、『われ21世紀の新渡戸とならん』(2003年)という本を書きました。―― 新渡戸稲造が 東洋と西洋をつなぐ架け橋になることを願ったように、医療とがん患者をつなぐ架け橋を築くことが私の使命だと、思いを新たにしています。本書は、そんな思いのもと、私が感銘を受けた新渡戸稲造の言葉をひもといてみたものです。 いまの方にも読みやすいように、私なりの意訳と独自の解釈をしています。

---人生には幾多の苦難がつきものです。 新渡戸の言葉は、困難に直面して立ち止まっている人、逆境にはまって必死にもがいている、そんな人たちに 大きな勇気を与えてくれます。 そこには人間が自分の人生を、自信を持って力強く生きていくための 知恵がたくさん詰まっています。 そんな新渡戸稲造の言葉は、どんな人でも 直面する悩みや悲しみを癒し、苦難や逆境を乗り越え、〝よき人生〞を過ごす糧かてを与えてくれるものです。】

 

 

 

 

第343回「心に咲く花会」 『人生は限りなき播蒔き』 〜 『歴史的な船出』〜

2024年4月13日『がん哲学外来市民学会』の『第1回つながるカフェ Zoom』に参加した(添付)。43名のZoom参加で、事務局の嶋田弥生氏のユーモア溢れる名司会で進行された。 大変有意義な充実した時であった。

想えば、『第1回がん哲学外来コーディネーター養成講座』(2011年12月17日、18日)が長野県佐久市で開催され、『佐久宣言』(2011年12月18日)が採択されるに至った。

1)『がん哲学外来市民学会』(Cancer Philosophy Clinic Association for the People) の設立

2)『がん哲学外来コーディネーター養成講座』修了証の発行

『がん哲学外来市民学会第1回大会』(2012年9月23日:佐久勤労者福祉センター)は、筆者が大会長を仰せつかり、長野県、佐久市日本医師会、公益財団法人日本対がん協会、新聞社、テレビ局などの多数の『後援』も得られた。

『がん哲学外来市民学会』は、筆者は代表、顧問には柏木哲夫先生(金城学院大学学長/淀川キリスト教病院名誉ホスピス長)・門田守人先生(厚生労働省がん対策推進協議会会長/がん研究会有明病院病院長)・垣添忠生先生(日本対がん協会会長/元国立がんセンター総長)が就任されスタートした。『歴史的な船出』であった。第1回『がん哲学外来市民学会』総会は、『農村医学』の発祥の地・『医療の民主化』を目指す『佐久市』で開催され、まさに、『救済の客体から解放の主体へ』の『市民の為の学会』であった。今年(2024年)第12回『がん哲学外来市民学会』は京都で開催される(添付)、

思えば『がん哲学』提唱(2001年)——>『がん哲学』出版(2004年)>『がん哲学外来』開設(2008年) ——>『がん哲学外来研修センター』開設(2011年)——>『がん哲学外来コーディネーター養成講座』開催(2011年)−−>『がん哲学外来市民学会』設立(2011年)の道のりであった。『人生は限りなきの播蒔きなり、発芽も収穫も天意にあり』(新渡戸稲造:1862−1933)の実感である。

 

 

 

 

 

 

第342回「心に咲く花会」 『からし種』 〜 『医療の扉を開く』〜

2024年4月10日 順天堂大学保健医療学部 診療放射線学科2年生の授業『病理学概論』vs『がん医療学科』と大学院生の授業『がんの定義、自然史と介入』に赴いた。『病理学』とは、『顕微鏡を見て病気を診断する=森を診て木の皮まで診る=風貌を見て、心まで読む=丁寧な観察力の修練』であると述べた。 多数の出席者で、真摯な姿勢で、質問もあり、大いに感動した。

『がん細胞の病理』と『人間社会の病理』の類似性が、2001年の『がん哲学』の提唱の原点で、2008年 順天堂大学病院で【『病気』であっても『病人』ではない社会の構築】を目指して『がん哲学外来』(添付)が開設されたと語った。

『がん遺伝子vsがん抑制遺伝子』・『交感神経vs副交感神経』について、【真理は円形にあらず、楕円形である。 一個の中心の周囲に描かるべきものにあらずして、二個の中心の周囲に描かるべきものである。】(内村鑑三)と説明した。

【医療の発祥:『最も剛毅なる者は最も柔和なる者であり、愛ある者は勇敢なる者である』とは、『高き自由の精神』を持って医療に従事する者への普遍的な真理であろう。『他人の苦痛に対する思いやり』は、医学、医療の根本である。

『訪れる人を 温かく迎い入れる』が医療者の原点でもあろう。】と伝えた。

『医療者の2つの使命』

1)『学問的、科学的な責任』で、病気を診断・治療するーー>学者的な面

2)『人間的な責任』で、手をさしのべるーー>患者と温かい人間としての関係

からし種=どんな種よりも小さいのですが、成長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります』。これは『時代を超えて、時代を愛する=がん哲学 & がん哲学外来』の原点である。『21世紀の医療の扉を開く』となろう。

大変充実した有意義な貴重な『授業=3連チャン症候群』の1日となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

第341回「心に咲く花会」 『興す』 〜 『丁寧な社会の構築』 〜

2024年4月5日 病理組織診断業務に赴いた。『顕微鏡を見て病気を診断する=森を診て木の皮まで診る』実践である。【『病理医』は『形態』&『起源』&『進展』などを追求する医学者】である。『丁寧な観察力の修練』の日々である。

4月6日は『市ヶ谷だいじょうぶ!カフェ』に赴いた(添付)。 多数の参加者であった。 親子で小学生6年生も参加されていた。 大いに感激した。 【講演と質疑応答(60分)】では、会場から多数の質問があった。【『医師になった理由』&『病理医になった理由』】も問われた。

【筆者は幼年時代から母:樋野壽子(1923年2月20日〜2019年6月3日)に『誕生の年の初夢に富士山を見た』と育てられ『富士山』(添付)には特別な思いがある。 幼年時代のインプリンテイングは生涯に影響を与える様である。 そもそも筆者の名前は、息子を先の戦争でなくした祖父が、家を継いだ末娘(母)の3人の子供(誉・誠・興夫)の末っ子の長男:筆者に『家を興す』の願いを込めて名付けたと、祖父の膝に抱かれて聞かされた幼年時代(3歳)の想い出が、鮮明に脳裏に蘇る。『興』は、『国を興す 産業を興す 振興 興起 興隆 再興 復興』などなど! そして『われ Origin of fire:樋野興夫(ひの おきお=火のおきを!):たらん』(to be 出版 2005年)(添付)の発行が実現したものである。】
筆者の故郷(島根県出雲市大社町鵜峠;添付)は、人口37名、空き家60%であり、会話(『臨床医』)ではなく、細胞との対話(『病理医』)を選んだと語った。

『風貌を見て、心まで読む』のが病理診断であり、顕微鏡観察は『がん哲学=癌細胞の病理と人間社会の病理=生物学と人間社会』の原点である。 臨床医でない病理医が『がん哲学外来』を創設出来た原点は、『病理学+社会学=がん哲学外来』である。『がん細胞の病理』と『人間社会の病理』の類似性が、2001年の『がん哲学』の提唱の原点である。 つまり、【『生物学の法則』+『人間学の法則』=『がん哲学』】である。 そして、2008年 順天堂大学病院で【『病気』であっても『病人』ではない社会の構築】を目指して『がん哲学外来』が開設された。

第340回「心に咲く花会」 『前進的である』 〜 『種を蒔く』 〜

2024年4月1日 恵泉女学園(世田谷区の経堂)―>新渡戸稲造記念センター(中野区)に赴いた。 筆者は新渡戸稲造(1862-1933)から学んだ河井道(1877-1953)が創立(1929年)した恵泉女学園の9代目理事長を拝命することになった。 河井道は自著『わたしのランターン』という著書の中で、【前向きで、前進的であること】&【時がくると、それは別の手へとひき継がれて、さらに先へと運ばれていくであろう。】と記述している。

女子教育に大いなる理解を示した新渡戸稲造東京女子大学 初代学長)が、河井道、津田梅子(1864―1929;女子英學塾 創立者)、安井てつ(1870-1945;東京女子大学 第2代学長)を援護した三人に共通するのは『種を蒔く人になりなさい』の実践であろう。 筆者は、東京女子大学の理事も仰せつかっている。

筆者は、内村鑑三(1861-1930)の『後世への最大遺物』から学んだ【大いなる人物というのは、収穫物というのは、存命中に実を結んだものだけではない。 故に後世に生まれた我々がこれを『温故』し『創新』することによって現代に貢献できる。 これは『勇ましき高尚なる生涯』である。『勇ましき高尚』の『高尚』とは、人のために、我を忘れてやるものが高尚であり、『勇ましき』というのはイエスかノーかをはっきり言えることであろう。】が想い出される日々である。

筆者は、小学校の卒業式で来賓が話された『ボーイズ・ビー・アンビシャス』(boys be ambitious)(1877年 札幌農学校ウィリアム・スミス・クラークWilliam Smith Clark:1826-1886)博士の言葉)が胸に染み入り、希望が灯るような思いを受けたものである(添付)。 筆者の人生の起点であると言っても過言ではない。 札幌農学校におけるクラーク精神が、内村鑑三新渡戸稲造へと導かれ、英文で書かれた『代表的日本人』(内村鑑三)と『武士道』(新渡戸稲造)は、若き日から筆者の座右の書となった。 2007年からこの2冊の本の読書会を毎月継続的に行なっている。

【昔の命題は、今日の命題であり、将来のそれでもある。】の実感である。

 

 

 

 

 

 

第339回「心に咲く花会」 『冗談を本気でする具眼の士』 〜 『視野狭窄にならない胆力の修練の場』 〜

2024年3月27日午前『柏がん哲学外来』(柏地域医療連携センターに於いて)に赴いた(添付)。 3組の個人面談の機会が与えらた。 大変貴重な時となった。『柏がん哲学外来』は、2009年にスタートして、今年(2024年)は、15周年で、6月27日『15周年イベント』が企画される。 継続の大切さを実感する日々である。 スタッフの皆様と昼食を共にした。 話も大いに弾み、大変有意義な充実した時となった。

2023年12月6日の『屋形船の夜』に参加された中野綾子氏、春日井いつ子氏、小林松栄氏とは【『樋野先生たびの会』5周年記念『屋形船の夜』の写真集】でも話が盛り上がった。【『お台場・スカイツリーコース』隅田川の橋めぐりと お台場の遊覧も楽しめる盛りだくさんなコースです。 浅草で乗船をして、隅田川の橋巡りをしながら お台場まで夜景を楽しみながら食事を楽しんでいただき、カラオケも歌いたい放題の2時間半です。】と紹介されている。『冗談を本気でする胆力の修練の場』である。

その後、順天堂大学に寄った。 夕方は、筆者は、2004年にスタートした南原繁(1889-1974)研究会の3代目の代表を仰せつかっている『南原繫研究会』(第234回)にZoom参加した。 今回の読書会は、南原繁著作集第二巻『フィヒテの政治哲学』第1部 フィヒテ政治理論の哲学的基礎 第三章 政治・道徳・宗教の関係II、第四章 現代哲学の問題であった。 その後、自由発表の時間であった。 南原繁の『富山県射水郡部長の時代』も話題となった。 日々勉強である。

南原繁は、内村鑑三(1861-1930)と新渡戸稲造(1862-1933)から大きな影響を受けた。 筆者は、南原繁が東大総長時代の法学部と医学部の学生であった二人の恩師から、南原繁の風貌、人となりを直接うかがうことが出来た。 【南原繁は、『高度な専門知識と幅広い教養』を兼ね備え『視野狭窄にならず、複眼の思考を持ち、教養を深め、時代を読む
具眼の士』】と教わったものである。

今年(2024年)は、南原繁の没50周年で、『南原繫研究会』創立20周年でもある。 記念シンポジウムも企画されることであろう!

 

 

 

第338回「心に咲く花会」 『病む人、同僚と職場、地域住民と地域』への愛 〜 春風のような懸け橋 〜

2024年3月22日 新渡戸稲造記念センター ー>病理組織診断業務 ―>順天堂大学―>武蔵野赤十字病院(病院長泉並木先生)での臨床研究倫理審査委員会に赴いた。 大変勉強になり有意義な倫理委員会であった。 筆者は、順天堂大学での医学部医学系研究等倫理委員会、新渡戸記念中野総合病院での倫理委員会の委員も仰せつかっている。 日々勉強である。

【武蔵野赤十字病院は1949年に創立され、『病む人への愛』、『同僚と職場への愛』、『地域住民と地域への愛』、『地球、自然、命への愛』を大切にすることを基本理念として歩んでいます。】と謳われている。今年は、創立75周年でもある。『がん診療連携拠点病院』として『がん相談支援センター』、『検診センター』、『地域周産期母子医療センター』も設置されている。 約600病床のようである。 赤十字病院は、全国で91の病院があるようである。

3月23日は『お茶の水(OCC)メディカル・カフェ』(添付)である。 東日本大震災の2011年に創設準備がなされ、2012年に当時OCC副理事長であった今は亡き榊原寛先生が始められた。 この度、編集長の山崎智子(まどろむ文鳥)先生が、『OCCカフェ 12周年記念誌』を製本される。 今回は、韓国のソウルにあるミョンジ(Myongji)大学の平田尚子先生、ご主人Ha,Heon Ju教授も参加されるとのことである。 筆者は、昨年(2023年)10月31日に【韓国のミョンジ(Myongji)大学での第1回 メディカルカフェ in ソウル】に赴いた。 今年(2024年)10月『1周年記念シンポジウム』が開催されるようで、今回はその打ち合わせとのことである。『日本と韓国の懸け橋=OCCカフェの真髄』を実感する。 筆者の本の韓国語訳の出版も企画されているようである。

カフェの後、5:00pm池袋でカラオケ大会が企画されている。 40歳から90歳まで、幅広い年齢構成で、12名の参加予定とのことである。ただただ感服である。【スルメ3姉妹:『がん哲学外来あびこカフェ代表 ピグミーマーモセット 中野綾子氏』&『目白カフェ代表 春風のようなゴリラ 森尚子夫妻』&『狼ではなく 食いしん坊のコツメカワウソ 戸田裕子氏』も参加されるようである。