「心に咲く花会」樋野興夫コラム

一般社団法人がん哲学外来 理事長 樋野 興夫(順天堂大学 名誉教授)コラムです

第492回「心に咲く花会」 納得感の要は『愛』〜 心に火を灯す言葉 〜

2026年5月2日『ひばりヶ丘駅―>池袋駅―>東松山駅』に向かい 吉見キリスト集会所での『がん哲学外来 よしみがんカフェ3周年記念会』(代表 坂口喜久二氏)に赴いた。 会場は、多数の参加者であった。『花(隅田川)』&『茶摘』&『こいのぼり』の合唱で始まった。 その後、筆者は 講演の機会が与えられた。

筆者の【わからないことを わからないと語るには『愛』しかない】文章が配布された(下記)。大いに感激した。

【がん告知を受けた人は一度や二度は、『なぜ、自分ががんに?』と考えるようです。 最近は何人もの医師を受診し、いくつもの病院を訪ねる、いわゆる『セカンドオピニオン・ショッピング(ドクター・ショッピング)』をする患者が増えていますが、なんとかその答えを得たいという気持ちも、そうせざるを得ない要因になっているのではないでしょうか。

しかし、その『なぜ』に対する正解はありません。 医師はそれぞれ自分の見解を伝えるでしょう。 そのどれもまちがってはいないのですが、絶対的なものではないのです(もっとも、がんには標準治療というものが定められていますから、大学病院やがん拠点滅院で示される治療法には大きなちがいはありません)。

わたしは、わからないことはわからない、と答えるのがいいと思っています。『それじゃあ、患者としては納得できない。 家族だってそう』そう考える人が少なくないかもしれません。 ただ、『わかりませんね』というのでは納得できなくても無理はありません。

納得感の要は『愛』です。 愛をもって、わからないことはわからない、と答える。 別のいい方をすれば、患者や家族が、『この人は心の底から自分のことを思ってくれている』と感じていれば、納得感が生まれるのです。

患者と家族の間でもシビアな部分に触れる話題が出ることもあるでしょう。『わたしはいつまで生きられるのかしら?』 そこで、『大丈夫』といったって患者にはその場をとりつくろう言葉にしか聞こえません。 そんなときこそ、愛で語る『わからない』です。『わからないな。でも、最後まで一緒にやっていこう』 患者の心に火を灯す言葉です。】

その後、『がんカフェ』が行われた。 筆者は、別室で、3組の個人面談の機会が与えられた。 『365日の紙飛行機』の合唱で終えた。 そして、『夕食会』と『質問コーナー』が持たれた。 大変有意義な充実した貴重な時となった。

 

 

 

第491回「心に咲く花会」 『小さな事に、大きな愛を込める』〜『その人らしいものが発動して来る』 〜

筆者は、2026年4月28日 新渡戸稲造記念センターから、本郷三丁目駅に向かい訪問看護ステーションの代表(代表取締役) :布川麻代氏と面談した。 早速2027年の第10回日本地域医療連携システム学会(Japanese Association of Communication Medicine Cooperation System )の大会長が布川麻代氏に決まった。 布川麻代氏の博士論文は『Clinical Benefit of Cancer Philosophy Clinic for Cancer Patients Using EQ-5D-5L Scores』(Mayo NUNOKAWA, Eiichi INADA, Okio HINO)である。

【日本地域医療連携システム学会の概要:地域医療分野の総合的な連携を推進し、特に在宅医療ネットワークを構築・整備することを中心とした事業を行うことです。樋野興夫理事長を中心に、医師や看護師・コメディカルの情報共有の場として積極的に活動し、より強固なチーム医療を提供することを目的としています。】

【学会設立の目的: より良い医療・介護を提供するために教育活動を行い、いかに効率よくかつ安全に遂行できるか、研究、調査を行う場となるよう取り組んでいきます。 『医療の隙間を埋める』試みとして全国に広がることが期待される。 人間は、自分では『希望のない状況』であると思ったとしても、『人生の方からは期待されている存在』であると実感する深い学びの時が与えられている。 その時、『その人らしいものが発動して来る】であろう。】

日本地域医療連携システム学会は、 2016 年 4 月 1日に設立された。 日本地域医療連携システム学会 第 1 回シンポジウム【医療維新を目指して ~ 地域医療の今までとこれから ~】が、2016年 11月5日に企画された。 そして、日本地域医療連携システム学会第1回学術大会【自己形成力の連携 ~ 小さな事に、大きな愛を込める~】(添付)は2017年 12月2日に開催された。

【国手とは『国を医する名手の意』、名医また医師の敬称とあり『医師は直接、間接に、国家の命運を担うと思うべし』】とのことである。『日本の傷を医す者』(矢内原忠雄:1893-1961 年、1945 年 12 月 23 日の講演)が蘇った。 1860年代 遣米使節団『勝海舟(1823 - 1899)らがいた』が、ニューヨークのブロードウェイを行進した。 彼らの行進を見物した詩人ウォルター・ホイットマン(Walter Whitman:1819–1892)は、印象を『考え深げな黙想と真摯な魂と輝く目』と表現している。 この風貌こそ、現代に求められる『医療者』ではなかろうか。

 

 

 

 

 

第490回「心に咲く花会」 『がん哲学外来』の『時の流れ』 〜 医師は生涯書生である社会構築 〜

2026年4月22日 筆者は 新渡戸稲造記念センター長を務める新渡戸記念中野総合病院での第554回内科CPC(Clinico-Pathological Conference)に赴く。 2019年3月 順天堂大学病理・腫瘍学教授を定年退職して名誉教授を拝命した翌月、『新渡戸稲造記念センター』が設立され、センター長に就任し『がん哲学外来』が定期的に開催されている。【『新渡戸稲造記念センター』は、東京医療利用組合(現・東京医療生活協同組合)の初代組合長(理事長)である新渡戸稲造(1862-1933)博士の志を 日本の国内外へ広め、実践する拠点となります。 そして『がん哲学外来 in 新渡戸稲造記念センター』が開設される運びとなった。】と謳われている。

【CPCとは,剖検例の肉眼的,顕微鏡的病理所見と臨床所見との関連について双方の立場から意見交換をし、詳細な病態および死因の解明に向けて検討を行うものである】と紹介されている。 臨床医、病理医、臨床研修医との症例の学びの時である。まさに、CPCは、『医師は生涯書生である』の修練の場である。 筆者にとっては、CPCは、癌研時代から病理医の原点である。 毎日 顕微鏡で細胞を診て、病理組織診断と病理解剖に専念したものである。『丁寧な観察力の修練』であった。

『がん細胞の病理』と『人間社会の病理』の類似性が、2001年の『がん哲学』の提唱の原点である。【『がんは生物学の法則』+『哲学は人間学の法則』=『がん哲学』】である。そして、2008年 順天堂大学病院で【『病気』であっても『病人』ではない社会の構築】を目指して『がん哲学外来』が開設された。『時の流れ』を痛感する。

【病理医の2つの使命】

1)『学問的、科学的な責任』で病気を診断・治療する ー> 学者的な面

2)『人間的な責任』で手をさしのべる ー> 患者と温かい人間としての関係

【病理医の3つの心得】

1) 世界の動向を見極めつつ 歴史を通して今を見通せるようになる。

2) 俯瞰的に『がん』の理を理解し『理念を持って現実に向かい、現実の中に理念』を問う人材となる。

3) 複眼の思考を持ち、視野狭窄にならず、教養を深め、時代を読む『具眼の

士』の種蒔く人材となる。

 

 

 

 

 

第489回「心に咲く花会」 理念、使命、社会貢献 〜 人生の本質的な見直し 〜

2026年4月16日は、 札幌での 第115回日本病理学会総会(2026年4月16日~18日:『病理医よ 大志を抱けPathologists, be ambitious!)』大会長:田中伸哉 北海道大学大学院医学研究院腫瘍病理学教室・北海道大学病院病理診断科 教授)に向かう。 筆者は、2010年の『第99回日本病理学会総会会長』を仰せつかったものである。

【北海道大学の前身の札幌農学校は1876年に開校しました。 その初代教頭ウィリアム・S・クラーク(1826-1886)博士は 第1期生に高邁な大志(lofty ambition)を説きました。―― 本総会が、若手を含めて病理学に携わる全ての研究者・診断医が 新たな志を抱く契機となることを祈念します。】と謳われている。

筆者とっては『病理学は人生の原点』である。 病理学は【『臨床と基礎の懸け橋 = 純度の高い専門性(生物学)と社会的包容力(人間学)』&『理念、使命、社会貢献 = 本質的な人間教育の見直し』】の実践であろう! 西原広史先生(慶應義塾大学医学部がんゲノム医療センター 教授)が、筆者の講演『がん哲学外来の教え』(4月18日午前)の座長をして頂く。

筆者に強い印象を与えた言葉は、小学校の卒業式で、来賓が語った『ボーイズ・ビー・アンビシャス』(Boys, be ambitious)である。 札幌農学校を率いたウィリアム・クラーク(1826-1886)が、その地を去るに臨んで、馬上から学生に向かって叫んだと伝えられている。 新渡戸稲造(1862-1933) & 内村鑑三(1861-1930)は、札幌農学校の2期生の同窓生である。【新渡戸稲造は、『我太平洋の架け橋とならん』と答えたという逸話を残している。アメリカに留学し 帰国後、母校である札幌農学校の教授に就任、教育と研究に勤め、また北海道開発の諸問題の指導にあたるが、体調を崩してカリフォルニアに転地療養をすることになる。 このカリフォルニアでの療養中に書き上げ、刊行したのが『武士道』である。 内村鑑三の『代表的日本人』は、新渡戸稲造の『武士道』とならぶ、世界のベストセラーになった。】

筆者は、2007年から、新渡戸稲造の『武士道』と 内村鑑三の『代表的日本人』の読書会を毎月継続的に行っている(添付)。 まさに、今にも生きる言葉である。『不思議な人生の流れ』を痛感する日々である。【筆者の夢は、内村鑑三、新渡戸稲造らと『天国でカフェ』を開くこと】と何時も、市民講演会と学生講義で語る。

 

 

 

第488回「心に咲く花会」 『人間は役割と使命で生きる』 〜『出会いの流れ』〜

2026年4月10日 定期的な病理組織診断業務に赴むいた。 『顕微鏡を見て 病気を診断する = 森を診て木の皮まで診る』実践である。 病理医の筆者にとっては、原点である。『医師は生涯書生である』の修練の場でもある。 筆者は癌研時代から、毎日 顕微鏡で細胞を診て、病理組織診断と病理解剖に専念したものである。 まさに『丁寧な観察力の修練』であった。

『がん細胞の病理』と『人間社会の病理』の類似性が、2001年の『がん哲学』の提唱の原点である。 つまり、【『がんは生物学の法則』+『哲学は人間学の法則』=『がん哲学』】である。『哲学が心の支え』となろう。 そして、2008年 順天堂大学病院で【『病気』であっても『病人』ではない社会の構築】を目指して『がん哲学外来』が開設された。『出会いの流れ』を痛感する日々である。

そして、 順天堂大学医学部病理・腫瘍学教室に寄った。 文春新書から『目覚めると、ひとりだと気づく 〜 家族が過ごした最期の日々 〜』(2026年4月20日発行)(添付)が送られて来ていた。 柳田邦男先生とのインタビュー記事【がんでも、『天寿』は全うできる: 樋野興夫(順天堂大学名誉教授)】が、掲載されていた。 『がん細胞は不良息子』&『人間は役割と使命で生きる』のサブタイトルの箇所もあった。

(註)【二〇二六年二月現在、がん哲学外来は『メディカル・カフェ』として全国約二百か所、米国、韓国をはじめ海外にも『対話の場』が拡がっている。 樋野氏はこれまで約七千人もの患者やその家族に対し、医師として『ことばの処方箋』を出し、医療現場と患者の〝隙間〟を埋める活動を続けている。】と紹介されている。

柳田邦男先生の寄稿『死は人生の物語を跳躍させる』の中には、【『もし私が樋野先生の提案するメディカル・カフェの相談員になることを引き受けたら、どんな会話ができるだろうか。 おそらく私は助言者となるよりは、ひたすら人生の物語に耳を傾ける傾聴ボランィアのような対応をすることになるだろう。』】と記載されていた。 大いに感動した。

その後、恒例の順天堂学祖祭(上野精養軒に於いて)に出席した。 小川秀興理事長の講演のあと、夕食会であった。 会場は多くの出席者であった。 教授時代の多数の先生達と久しぶりにお会い出来、大変有意義な充実した貴重な『学祖祭』となった。

 

 

 

第487回「心に咲く花会」 何かはできる 〜『役割意識 & 使命感』の自覚 〜

『心に咲く花会』は、【樋野動物園】(添付)の『春風のようなゴリラ🦍:目白がん哲学外来カフェ代表』森尚子氏が担当され、今回 第487回を迎える。 継続の大切さを痛感する。 第1回は2018年9月1日【『心に咲く花』〜 『ヘレン・ケラーとアン・サリヴァン』に学ぶ 〜】であった。 筆者は『山の日』の祝日(2018年8月11日)、講演会『がんと共に いい覚悟で生きる 〜 がん哲学外来の話 〜』(松本市勤労者福祉センターに於いて)に招待された。 佐久、小諸、群馬、東京、名古屋からの参加もあり会場は大盛況であった。 主催者【松本がん哲学カフェ『みずたまカフェ』代表】の斉藤智恵美氏(パンダ)(添付)の胆力・企画力・心温まるおもてなしには、大いに感動したものである。 まさに『心に咲く花』の開花の時であった。

【ヘレン・アダムス・ケラー(1880-1968)は、3重苦(聴力、視力、言葉を失う)を背負いながらも、世界各地を歴訪し教育・福祉に尽くした。――― ヘレン・ケラーは、2歳の時に高熱にかかり、聴力、視力、言葉を失い、話すことさえ出来なくなった。 両親から躾けを受けることの出来ない状態となり、家庭教師として派遣されてきたのが、当時20歳のアン・サリヴァン (1866 -1936) であった。 アン・サリヴァンは その後約50年にも渡って、よき教師として、そして友人として、ヘレン・ケラーを支えていくことになる。 ヘレン・ケラーとアン・サリヴァン の半生は『The Miracle Worker』(日本語『奇跡の人』)として映画化されている。 英語の『The Miracle Worker』には『(何かに対して働きかけて)奇跡を起こす人』といった意味があり、本来はアン・サリヴァンのことを指す』とのことである。 ヘレン・ケラーが『人生の眼』を開かれたのは『いのちの言葉』との出会いである。『I am only one, but still I am one. I cannot do everything, but still I can do something; And because I cannot do everything I will not refuse to do the something that I can do.(私は一人の人間に過ぎないが、一人の人間ではある。 何もかもできるわけではないが、何かはできる。 だから、何もかもはできなくても、できることをできないと拒みはしない)』(ヘレン・ケラー) 】と謳われている。

【 人間は、自分では『希望のない状況』であると思ったとしても、『人生の方からは期待されている存在』であると実感する深い学びの時が与えられている。 その時、その人らしいものが発動してくるであろう。『希望』は、『明日が世界の終わりでも、私は今日 りんごの木を植える』行為を起こすものであろう。『役割意識 & 使命感』の自覚へと導く。すべての始まりは『人材』である。】が 今回、鮮明に思い出された。 学びの日々である。

 

第486回「心に咲く花会」 真心で支援する 〜 伝える言葉の処方箋 〜

2026年4月1日 筆者は、【新渡戸稲造記念センター in 新渡戸記念中野総合病院(初代理事長は新渡戸稲造:1862-1933)】から、東京女子大学(初代学長は新渡戸稲造)の入学式に赴いた。【『新渡戸記念中野総合病院は、新渡戸稲造博士・賀川豊彦氏(1888 -1960)らにより1932年に創立された。 当院設立の原点は、新渡戸稲造博士の精神を基にした医療を実践し、疾病を抱えた人を真心で支援することを目標とする』&『新渡戸稲造記念センター』は2019年4月設立された。『新渡戸稲造記念センター』は、新渡戸稲造博士の志を 日本の国内外へ広め、実践する拠点となります。 センター長には、新渡戸稲造博士の専門家として本邦の第一人者で、新渡戸博士の志を継承して 活躍されている樋野興夫先生が就任されました。】と 心温まる紹介がなされている。 まさに『人知を超えて、時が進んでいる』

1900年万国博覧会が開催されていたパリで、万博の審査委員として滞在していた新渡戸稲造と女子官費派遣留学生としてイギリスで学び、帰国の途にあった安井てつ(1870-1945;東京女子大学 第2代学長)は出会った。 新渡戸稲造は1918年に創立された東京女子大学の初代学長となる。 想えば、検事総長退任後に、東京女子大学理事長に就任された原田明夫氏(1939-2017)と、2000年『新渡戸稲造 武士道100周年記念シンポ』(国連大学に於いて)、2002年『新渡戸稲造生誕140年』、2003年『新渡戸稲造没後70年』、2004年『新渡戸稲造 5000円札さようならシンポ』を企画させて頂いた。 そして、2003年に初版『われ21世紀の新渡戸とならん』、2018年に新訂版、2019年4月には 英語版『I Want to Be the 21st Century NITOBE Inazo』(添付)が発行された。『もしかすると、この時のためであるかもしれない。』(旧約聖書 エステル記 4 章 14 節)の学びである。

戦後初の東大総長 南原繁(1889-1974)は、【『何かをなす(to do)の前に 何かである(to be)ということをまず考えよ ということが 新渡戸稲造先生の一番大事な教えであったと思います』と語り、また『明治、大正、昭和を通じて、これほど深い教養を持った先生は なかったと言ってよい』と語っている。】 『南原繁研究会』は、2004年に発足し、筆者は、2019年 南原繁生誕130周年を祝し 3代目の南原繁研究会代表を仰せつかっている。 南原繁は、内村鑑三(1861-1930)と新渡戸稲造から大きな影響を受けた。 【筆者が『がん哲学外来』での面談者に出す『言葉の処方箋』は、『内村鑑三と新渡戸稲造から学んだ 人生哲学のエッセンス』であり、『自分が1番大切と思ったことを、次の世代に伝える教育の実践』】でもあろう!