「心に咲く花会」樋野興夫コラム

一般社団法人がん哲学外来 理事長 樋野 興夫(順天堂大学 名誉教授)コラムです

第26回『一億本の向日葵』 ~私にとってのがん哲学という場所~

第26回『一億本の向日葵』

~私にとってのがん哲学という場所~

集中的にがん治療をしていた頃から、感じていたことがありました。それは、がんと向き合う本人が、「死」について考えた時、または言葉にした時に、その内容がどんなものであれ、“後ろ向き”だと捉えられてしまうことへの居心地の悪さです。「死を見据えた上で、今の生を考えていきたい」これが、私の中にずっとあった思いです。しかし、それを言葉にした時に返ってくるのは、「それは元気になってから考えればいい」「縁起でもないこと言わないで」「今やるべきことは治療に集中すること」という言葉でした。結局、私は一人で過ごすのを好むようになりました。

 

前を向いて治療に集中する。

死を見据えた上で今の生を考える。

 

この二つがなぜ両立しないかのように言われてしまうのか、不思議で仕方ありませんでしたが、その疑問をぶつける場所を見つけられずにいました。それから2年ほど経った頃に、“軽井沢のあうんの家”と“がん哲学”に出会いました。初めて、ありのままの思いを表現し、受け止めてもらった時の感動を今でも覚えています。その時はまだ、樋野先生のことを存じ上げず、“がん哲学”がどういったものなのか全く知りませんでしたが、“がん哲学”という言葉に初めて出会った瞬間の「こんなに探していたのに!」という悔しさにも似た気持ちは忘れられません。治療に取り組むこと、死を見据えた上で今の生を充実させること、その両方を大事に、自分の考えを整理できる場所を見つけることができたと思いました。その後も、樋野先生のあり方やお話、ご本、がん哲学を通して出会った方々と接する度に、大切にしてきたこと、大切にしていきたいことの輪郭がはっきりしてくるのを感じました。

 

「真理は円形にあらず、楕円形である。一個の中心の周囲に描かるべきものにあらずして、二個の中心の周囲に描かるべきものである。」樋野先生がお話される“楕円形のこころ”の懐の深さが、揺れ動く思いを否定することなく受け入れ、それぞれに考える余地とゆとりを与えているのだと思います。私にとってもがん哲学という場所は、主宰する側になっても、揺れ動くことも含め、温かく見守られる、本当に心強い場所です。

 

ひまわり担当🌻齋藤智恵美