「心に咲く花会」樋野興夫コラム

一般社団法人がん哲学外来 理事長 樋野 興夫(順天堂大学 名誉教授)コラムです

第58回『一億本の向日葵』~失うことから始まる希望~

第58回『一億本の向日葵』

~失うことから始まる希望~

“何かを失った”がんを患ってそう感じている方はきっとたくさんいらっしゃると思います。私もがんに罹患した当初、今まで掴んでいた将来や役割、収入などを失ったと感じていました。実際に手放さなくてはならないものが多くあったように思います。手放したくなくて、もがいて、抵抗をして・・。それでも懸命に、手探りで毎日を過ごしてきて今があります。新たな役割や人との出会いなど、今目の前に広がる世界そのものが罹患当時の“失った瞬間”からスタートしたのだと思うと、それはそれはとても愛おしいものに感じます。

 “失う”という体験。

目の前を一瞬にして真っ暗にして、「もう私には何もない」と生きる気力さえ奪ってしまうこの経験は、がんの罹患に関わらず、人生の中で幾度も巡ってきます。その度に、何とか立ち上がって今を生きています。そんな自分を振り返りながら、「本当に完全に失うことがあるのか?」と不思議な気持ちが浮かんできました。治療中の体調不良で会社をお休みする時、仕事を失った代わりに、一人の時間、家族との時間、療養する時間を得ています。家事が出来なくなって家族や友人を頼るようになった時、役割を失う代わりに、周囲の人の優しさや想いを得ています。頼りがいのあるお母さんという役割を失った時、息子が「いい子いい子」と小さな手で頭を撫でて元気をあげたい思うお母さんの役割を得ています。がんの切除で体の一部を失う時、安心と治療を頑張った証を得ています。仲間で集う楽しい時間を失った時、一人でじっくり考える時間を得ています。大切な人を失った時、二人だけの大切な思い出と永遠に続く愛情を得ています。

失ったのではなく、実は交換を繰り返してきたのだと思った時、何だかフッと肩の力が抜けました。がんという病で私は将来の可能性を失ったわけではく、誰かと痛みを分かち合う機会と可能性を得ていたのです。深く自分の事や誰かの事を想う時間を得ていたのです。

病に罹ることは決して楽なことではありませんが、これほどたくさんの気付きをくれる経験に私は感謝しています。

二つの定点を持つ楕円形。定点と定点が離れていればいるほど、安定が保たれる。樋野先生が教えて下さる“楕円形のこころ”という言葉が自分のバランスを保つ大きなきっかけを下さいました。

ひまわり担当🌻齋藤智恵美