「心に咲く花会」樋野興夫コラム

一般社団法人がん哲学外来 理事長 樋野 興夫(順天堂大学 名誉教授)コラムです

第52回『一億本の向日葵』 ~ことばで表現されない想い~

第52回『一億本の向日葵』

~ことばで表現されない想い~

「私たちの想いはどのくらい言葉で表現されているのだろう」

ふとそんな事を思いました。幸いにも私は2年前にがん哲学外来に出会い、メディカル・カフェという語り合いの場で今まで言葉にならなかった想いと触れ合う時間を頂いています。この“ことばで表現されない想い”の多くは大切な誰かに宛てられているように感じます。私は昨夜、そのことばで表現されない想い、もう言葉として表現されることのない想いに触れ、胸がいっぱいになり涙が止まらなくなりました。

なぜだか分からないのですが、私は自分の乳がんという病に対してネガティブな感情をあまり持ったことがありませんでした。むしろ人生の導き手のように思うことの方が多く、病の存在が私を生かしてくれたと感じています。しかし、診断から5年以上の時間が経過した昨日、私の病に対して初めて怒りのような感情を感じました。いつかの『一億本の向日葵』にも書いたことのある祖母の存在がその思いに通じています。私の祖母はあまり感情を表に出さないどちらかというとドライな人に見えました。それに加えかなり耳が遠かったので、一緒に居ても会話が少なく、何を感じているのか、何を考えているのか、孫である私には良く分かりませんでした。そんな祖母は私の治療中に密かに千羽鶴を折ってくれていました。その千羽鶴の存在に気付いたのは治療も一段落し、ウィッグが外せる頃でした。治療中も会いに行ってはいましたが、「体は大丈夫?」といつも短い質問を私に投げかけるだけで、私も「大丈夫だよ~」と簡単に答えていたものです。その千羽鶴もひ孫の遊び道具なり、だいぶ崩されてしまいましたが、そこに込められた祖母の想いが昨夜、突然手に取るように感じられました。祖母は母が小さい時に、夫である祖父を事故で亡くし、その後再婚した祖父を、そして私の叔父である息子を晩年になって事故で亡くしています。大切な人との突然の別れを何度も経験している祖母にとって、孫である私の病はどれだけの恐怖と悲しみだっただろうと。どんな気持ちで一羽一羽の鶴に折り目を付けていたのだろうと。本人である私がケロッとしていたので救われる部分もあったのかもしれませんが、計り知れないほどのこのことばで表現されなかった想いがドドドーっと私の胸に飛び込んできました。そこで初めて祖母にそんな悲しい想いをさせた「私の病」に怒りが湧きました。いつもかけてくれていた「体は大丈夫?」の言葉は、祖母の不安を解消するためではなく、紛れもなく私を大切に想うものでした。時間を超えて受け取る大きな愛でした。

 今は意思疎通をとることが難しくなってしまった祖母の「ことばで表現されなかった想い」が時間を超えて届くこと。私たちは言葉で相手に伝えることに躍起になってしまいがちですが、想いはいつか届き、その人に力を与えるということを信頼できたら、彷徨っていた言葉にならない想いたちが安心するのではないでしょうか。

ひまわり担当🌻齋藤智恵美