第144回「心に咲く花会」
「すべてを始動される原動力」 〜 「汝の義務を尽くせ」 〜
東京女子大学の理事長と恵泉女学園の理事長との面談の機会が与えられた。 両校は新渡戸稲造(1862-1933)との縁があり、筆者は、さりげなく、両校の理事を務めている。 来年(2022年)は 新渡戸稲造生誕160周年記念である。 『「東京女子大学(1918年創立)& 恵泉女学園(1929年創立)」合同シンポジウム 〜 今、再び、女子教育 〜 』が企画される予感がする。 実現したら歴史的快挙であろう! 新渡戸稲造は幕末、盛岡に生まれている。 札幌農学校に学び、卒業後は東大に入学するが、この面接試験で将来の希望について「我太平洋の架け橋とならん」と答えたという逸話を残している。 しかし新渡戸稲造は 東大の学問レベルに満足せず、アメリカに留学する。 帰国後、母校である札幌農学校の教授に就任、教育と研究に勤め、また北海道開発の諸問題の指導にあたるが、体調を崩してカリフォルニアに転地療養をすることになる。 このカリフォルニアでの療養中に書き上げ、刊行したのが、『武士道』である。 また学問・教育の世界では、東大教授と第一高等学校校長の兼任、東京女子大学学長などを歴任した。 そして第一次世界大戦後、国際連盟設立に際して、初代事務次長に選任され、世界平和、国際協調のために力を尽くしている。 国際連盟事務次長時代の新渡戸稲造が設立した知的協力委員会である。 世界の幸福を願い、世界中の叡智を集めて設立した知的協力委員会には哲学者のベルグソンや物理学者のアインシュタイン、キュリー夫人らが委員として参加、第一次世界大戦後に困窮が著しかった各国の生活水準の調査や知的財産に関する国際条約案を検討し、各国の利害調整にあった。 この知的協力委員会の後身がユネスコである。 新渡戸稲造が、愛読したカーライルの『サーター・リサータス:衣装哲学』の『“Do thy Duty, which lies nearest thee, which thou knowest to be a Duty”(汝の義務を尽くせ。 汝の最も近くにある義務を尽くせ、汝が義務と知られるものを尽くせ)』の言葉の復学である。
2021年5月16日は、「東久留米がん哲学外来・カフェ」に赴いた。 東久留米市の広い会場で、人数を制限し開催された。 個人面談もり、大変、貴重な、有意義な時でした。 早速、「今日も素晴らしい時間をありがとうございました。 また今日は面談までしていただき 本当に感謝しております。 話をいっぱい聞いていただき 心が落ち着きました。 先生の言葉を胸に、これからも頑張って行きたい思っております。」との励ましのメールを頂いた。 その後、同じ会場、読書会であった。 「新渡戸稲造『武士道』(岩波文庫、矢内原忠雄訳)と内村鑑三『代表的日本人』 (岩波文庫、鈴木範久訳)を交互に読み進めております。 ―― 樋野先生のユニークで わかりやすい解説と さり気なく語られるメッセージに励まされ、人生の生きる意味を あらためて考えるひとときになります。」とチラシには紹介されている。 今回は、内村鑑三『代表的日本人』の「西郷隆盛」の3章「維新革命における役割」の箇所でった。 「すべてを始動される原動力」の学びの時であった。 内村鑑三(1861−1930)は、札幌農学校で新渡戸稲造と同級生であり、学んだ水産学を生かすべく国に奉職したのち、アメリカに留学し、帰国後、いくつかの学校で教鞭をとるが、いわゆる「不敬事件」が社会問題化し、一方、自身も病を得、教壇から去ることになる。 しかし不遇をかこつ何年かの間に数多くの著作、論説を発表し、これらは教育や文学、芸術などを幅広い分野に影響を及ぼした。 ちなみにこの時期に書かれた『Representative Men of Japan』(『代表的日本人』)は、新渡戸稲造の『武士道』とならぶ、世界のベストセラーになった。 「コロナ時代」求められている人物像は、「内村鑑三」、「新渡戸稲造」では、なかろうか!