「心に咲く花会」樋野興夫コラム

一般社団法人がん哲学外来 理事長 樋野 興夫(順天堂大学 名誉教授)コラムです

第81回『一億本の向日葵』 ~細胞、人間、社会~

第81回『一億本の向日葵』

~細胞、人間、社会~

私は「がん哲学」という言葉と同時に、樋野先生の著書「がん哲学改訂版~がん細胞から人間社会の病理を~」に、出会いました。自分の体の中にがんが見つかってから、がんに関するいくつもの本を読み漁りましたが、明らかに視点の違うこのご本に、衝撃にも似た安堵感を覚えました。悪者の悪いところを指摘して、いかに排除するか。そんな視点が多い社会に息苦しさを感じていた私は、樋野先生によって語られるがん細胞の姿が愛おしくさえ思えました。

3月20日春分の日に、私はインターネットを活用したオンラインのメディカルカフェ開催のために、松本市の自宅から2時間ほどの駒ヶ根市にある駒ヶ根パノラマ愛の家に向かいました。本来であれば、駒ヶ根がん哲学外来心晴カフェの開設記念として、ドキュメンタリー映画『がんと生きる 言葉の処方箋』上映と樋野先生のご講演を実施する予定だったこの日ですが、やむを得ず延期の判断をして、オンラインでのメディカルカフェ開催にチャレンジをすることとなりました。パソコンの画面と音声を通して感じられたものは、想像以上に広がりがあり、これからの一つの可能性を参加して下さった方々と共有できたことは、大きな実りとなりました。さて、その日の朝7時に自宅を出発して車を走らせていた時のことです。ふとあることが私の頭をよぎりました。それは「私ががんになったのは、社会でがん細胞的な役割を思い出すためだったんじゃないか」ということでした。自分でも驚きながら、でも腑に落ちた瞬間でもありました。目的を見失ったがん細胞は体という社会を蝕みますが、目的を見定めて、がん細胞のように、自分でエネルギーを作り出し、その場に順応しながら、地道に自分たちの社会を作り上げることが、私たちにもできるのだと何かをつかんだ気がしました。樋野先生は「がん哲学」中で、「宣教師はがん細胞になれ」と書かれています。私は宣教師ではありませんが、そういった気持ちで生きることはできます。悪と見なされがちながん細胞にも、見習う部分があります。私たち一人一人も、完全に良い、完全に悪い人間というのはなく、両方持ち合わせています。社会の在り方も本当はそうだと思います。良い面も悪い面も、その両方を見て見ぬふりをせずに、丁寧に見て、認めて、自分なりの目的を見定めるには、個性と多様性に寛容な社会や場所が大切になります。その日、私はそんな場所をこつこつと作りたいと思いました。

ひまわり担当🌻🐼齋藤智恵美