「心に咲く花会」樋野興夫コラム

一般社団法人がん哲学外来 理事長 樋野 興夫(順天堂大学 名誉教授)コラムです

第85回「心に咲く花会」 「愛と思いやりの表現」〜 握手しているイラスト 〜

第85回「心に咲く花会」

「愛と思いやりの表現」〜 握手しているイラスト 〜

筆者は、「1人、部屋で 静かに1時間読書する 習慣をつけよ!」と 若き日に学んだ。 その教えが、「コロナ ショック」で、行事予定が中止や延期が相次ぐ中、生きている。 筆者と、勝海舟新渡戸稲造が 握手しているイラスト、それに神谷美恵子も 加わったイラストが、浅草の薬剤師から 送られてきた(添付)。「愛と思いやりの表現」には、大いに感動した。 神谷美恵子は、齋藤智恵美 代表を彷彿させた。 1860年代遣米使節団 (勝海舟らが 居た) が、 ニューヨークの ブロードウエイを行進した。 彼らの行進を見物した 詩人ホイットマンは、印象を 「考え深げな黙想と 真摯な魂と 輝く目」と表現している。  この風貌こそ、現代に求められる 「学者の風貌」 でなかろうか。 

筆者は、「日本国のあるべき姿」 として 「日本肝臓論」を展開している。 日本国 = 肝臓という 「再生」論に、行き詰まりの 日本を打開する具体的な イメージが 獲得されよう。 人間の身体と臓器、組織、細胞の役割分担と お互いの非連続性の中の連続性、そして、傷害時における 全体的な 「いたわり」 の理解は、世界、国家、民族、人間の在り方への 深い洞察へと 誘うのであろう。 「日本の傷を医す者」 (矢内原忠雄: 1945年12月23日の講演) が蘇った。 政治家にして医師のセンスを 兼ね備えるのは 至難のことである。  しかし その稀有の例が 過去の日本にもいた。 後藤新平 (1857-1929年) である。 1882年、岐阜で暴漢に襲われ 負傷した板垣退助を 医師として手当し、板垣退助に 「医者にしておくには惜しい。 政治家になれば、かなりのものに なるであろうに」 と 言わしめた後藤新平は 実際、関東大震災後の東京復興の壮大な ビジョンを描いたリーダーとして 「理想郷を作りたいと願う熱い思い」 を持ち 「行動する人間」 であったとのことである。 後藤新平は、新渡戸稲造を いろいろな局面で 抜擢した人物でもある。

「時代を動かすリーダーの 清々しい胆力」 としての 「人間の知恵と 洞察とともに、自由にして 勇気ある行動」 (南原繁著の「新渡戸稲造先生」より) の文章が思い出される 今日この頃である。 「最も必要なことは、常に志を忘れないよう 心にかけて記憶することである」(新渡戸稲造)。 高らかに理念を語る 「小国の大人物」 出でよ!