2022年12月16日『ハルメク』本社での『樋野興夫先生映画上映会 & トークショー』(添付)に赴いた。 ドキュメンタリー映画『がんと生きる 言葉の処方箋』(野澤和之監督作品;文部科学省選定、厚生労働省推薦)上映後、長倉志乃氏の司会で、大弥佳寿子氏(東村山メディカルカフェ主宰)とのトークショーであった。 大弥佳寿子氏は、先日の12月3日『「東村山カフェ100回記念」&「読書会15周年記念」』誌(添付)を企画された。 ライブ配信で、参加された方からも複数の質問が寄せられた。 大変有意義な貴重な時となった。
筆者は『ハルメク』のリレー連載(2022年9月号、10月号、11月号)【「こころのはなし 医学博士・樋野興夫さんと考える「病気との向き合い方」】の機会が与えられた。 9月号のタイトルは『がんも病気も個性の一つ。病気であっても病人ではないのです』、10月号は『あなたも私も困っている者同士。だから前向きな気持ちになれるんです』、11月号は『明日この世を去るとしても、今日の花に水をあげましょう』であった。 多数の読者が拝読されたようである。
筆者は、癌研部長から順天堂大学教授に赴任した(2003年)。 この歩みから、集大成として、ドキュメンタリー映画『がんと生きる 言葉の処方箋』が、制作されることになった。 思えば、筆者は、2005年、クボタショックの年、順天堂医院で『アスベスト・中皮腫 外来』開設する機会が与えられた。 そして、2008年、順天堂医院で『がん哲学外来』が始まった。 毎日新聞、読売新聞、NHKにも大きく報道された。 朝日新聞の一面の記事に、筆者のことを、『「変わり者」でなく「変わり種」』と、紹介されたことが鮮明に甦った。「変わり種」は「からし種」の如くとのことである。 人生不思議な出会いである。 新渡戸稲造 (1862-1933) は、国際連盟事務次長時代に「知的協力委員会」(後のユネスコ)を構成し、知的対話を行った。 そのメンバー中には、当時の最高の頭脳を代表するアインシュタイン(1879-1955)、キュリー夫人 (1867-1934)もいたことは 特記すべきことである。【21世紀の知的協力委員会 〜 ドキュメンタリー映画『がんと生きる 言葉の処方箋』〜の世界発信の時ではなかろうか】と今回の『ハルメク』の企画で静思する日ともなった。