「心に咲く花会」樋野興夫コラム

一般社団法人がん哲学外来 理事長 樋野 興夫(順天堂大学 名誉教授)コラムです

第337回「心に咲く花会」 『愛は寛容であり、親切である』 〜 有益な目的に使う誠実な人 〜

2024年3月18日 筆者は、新渡戸稲造 (1862-1933)から学んだ恵泉女学園創立者 河井道(1877-1953)の恵泉女学園の9代目理事長を務める恵泉女学園での学園学校会議(世田谷区の経堂に於いて)に出席した。『愛がなければ、何の役にも立ちません。 愛は寛容であり、愛は親切です。 また人をねたみません』(コリント人への手紙 第一 13章3、4節)が鮮明に蘇った。

3月19日早朝 嶋田弥生氏より【樋野先生 おはようございます。 先日は市民学会のつながるカフェへの応援メール有難うございました。―― 全国のカフェスタッフが、『つながるカフェ』を通して、繋がっていけたら歴史的快挙ですね(樋野先生的表現)。 さて、樋野先生の『10周年記念誌作ったら?』の一言で始まった、栃木の10周年記念誌(添付)ですが、来月のカフェでみなさんにお配りする為、只今もりもり校正中でございます。 言い出しっぺ先生のお祝いメッセージは最初のページに入れさせていただく予定で、昨夜入手したものを添付させて頂きます。―― 先生の一言で、10年の歴史を振り返る時間がもてました。本当に有難うございます。】との心温まる励ましのメールを頂いた。

【『まちなかメディカルカフェin宇都宮』(代表 平林かおる先生)10周年記念誌が発行される運びとなった。 栃木県日光市は『二宮尊徳(1787-1856)』でも知られている。 まさに、『自分の休みを有益な目的に使える絶好な場=まちなかメディカルカフェin宇都宮』であり、『21世紀の二宮尊徳=誠実な人は、前もって ことを知ることができる』{『代表的日本人』(内村鑑三:1861-1930 著)}の時代的出番となろう。 『vision & dream』は、『まちなかメディカルカフェin宇都宮』の心得であろう!】と記述したものである(添付)。

3月20日は、『がん哲学外来あびこカフェ代表 ピグミーマーモセット 中野綾子氏』が企画された【がん哲学外来亀有メディカルカフェ開設記念講演会】(亀有教会において)に向かう(添付)。 パネルディカッションのパネラーとして、『目白カフェ代表 春風のようなゴリラ 森尚子氏』&『狼ではなく 食いしん坊のコツメカワウソ 戸田裕子氏』も参加されとのことである。 まさに、『自分が出来ることは 嫌とは言わない スルメ三姉妹の使命』であろう。

 

 

第336回「心に咲く花会」 『行なって実を結び、実が残る』 〜 『真の国際人の育成』

2024年3月14日 恵泉女学園高等学校 第76回卒業式(10:00〜12:00)に参列した(世田谷区の経堂に於いて)。 177名の卒業生であった。 『在校生代表の送別のことば』&『卒業生代表の感謝のことば』を聴きながら『涙を流している卒業生』を見て、大いに感動した。 『あなたがたが行なって実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、』(ヨハネ福音書第15章16節)が、今回の学びの時となった。

その後、『第76回卒業生 感謝会』(12:30〜14:30)に出席した。 筆者は、『卒業生、教職員、保護者、在校生、来賓』に、新渡戸稲造 (1862-1933)から学んだ恵泉女学園創立者 河井道(1877-1953)の恵泉女学園の9代目理事長を拝命したので、『理事長挨拶』の機会が与えられた。

【『わたしのランターン』は創立者 河井道の自叙伝です。 恵泉女学園が創立10周年を迎えた1939年、河井道は英文"My Lantern"を著し、のちにそれが『わたしのランターン』として和訳されました。】

【河井道の『わたしのランターン』の終わりに『ここまで、わたしは、私のランターンをかかげてきた。 時がくると、それは別の手へとひき継がれて、さらに先へと運ばれていくであろう。】

【女子教育に 大いなる理解を示した新渡戸稲造東京女子大学初代学長)が、援護した河井道は、まさに、『種を蒔く人になりなさい』の実践である。】

【河井道は、『無邪気に、喜んで、小さなことに、大きな愛を込める』&『役割意識と使命感』の実践者であった。】と『恵泉のスピリット』をさりげなく語った。 まさに、【『尊敬する人物に出会うことで、夢を追い続けることが出来る『真の国際人』の育成が『教育の原点』】であろう。(添付)

それから、経堂駅―>新宿駅―>西荻窪駅に向かい、東京女子大学(杉並区)の評議員会(4:00pm〜) & 理事会(5:30pm〜)に出席した。【建学の精神、教育、経営の理念】の学びの1日となった。

 

 

 

 

第335回「心に咲く花会」 『器量の持ち主』 〜 『忘れ得ぬ宝物』 〜

2024年3月8日は、東京は雪であった。 病体組織診断業務に赴いた。 3月9日はwifeと ひばりヶ丘駅―>池袋駅―>大宮駅―>軽井沢駅―>万座温泉日進館に向かう。 万座温泉日進館で【2024年メデイカル・ヴイレッジ in 嬬恋村『がん哲学外来カフェ in 万座』『樋野先生お誕生日お祝い会』及び南原繁(1889-1974)没50周年記念に寄せて!】が企画されている。

お祝い会(宴会)の後、旅館のロビーで講演『教養を深め、時代を読む 〜 楕円形の心〜』を行い、その後、懇談会の予定である。 3月10日午前中は、『がん哲学外来カフェ in 万座 〜 大弥佳寿子さんを偲ぶ会〜』である。(添付)

2023年12月9日、故大弥佳寿子様(享年60歳)葬儀通夜にwifeと参列した。大弥佳寿子様は、『器量の持ち主』であった。『器量』といえば、『挑太郎』を 思い出す。 鬼ケ島遠征の物語は、子供時代、村のお寺の紙芝居で よく聞かされたものである。 『挑太郎』が『犬・雉・猿』という性質の違った(世にいう犬猿の仲)伴を まとめあげたことを挙げた。 世に処する人は『性質の異なった者を 容れるだけの雅量』を もたなければならないと 新渡戸稲造(1862-1933)は『世渡りの道』(1912年)は、述べている。

大弥佳寿子様から【先生は お話される内容も著される内容も ずっと変わりませんね。― 先日、整理していたところ、先生と出会う前の 2008年の朝日新聞の切り抜き記事が 見つかりました。 先生の基軸は ずっと変わりませんね。】の励ましのメールが筆者の『忘れ得ぬ宝物』である。

『樋野動物園1周年記念誌(編著:阿部友香、森尚子、大弥佳寿子)『個性と多様性』(2020年)も担当された。 大弥佳寿子様の『情熱、熱意、真摯な態度』には、ただただ感服した。 大弥佳寿子様は、まさに、【『無邪気に、喜んで、小さなことに、大きな愛を込める』&『役割意識と使命感』】の実践者であった。 万座は1800メートルである。 大弥佳寿子様と、『天国でがん哲学外来・カフェ』を開催したいものである。

 

 

 

 

第334回「心に咲く花会」 『愛情溢れる胆力』 〜 小さな事に 大きな愛を込め 寄り添う 〜

2023年12月6日 高橋謙三(カンガルー)氏が【『樋野先生たびの会』5周年記念『屋形船の夜』】を企画されwife(Penguin ペンギン)と参加した。 浅草の吾妻橋船場で乗船し、お台場・スカイツリーコースの2時間半の旅であった。

中野綾子(ピグミーマーモセット)氏が【樋野動物園テーマソング『小さな事に大きな愛を込めて』(作詞:樋野興夫  作曲:中野綾子)】のテープが流された。ただただ感服した。 カラオケ大会では、筆者は、杉良太郎の『すきま風』とフランク永井の『おまえに』を森尚子(春風のようなゴリラ)氏の配慮で歌う機会が与えられた。そして石原裕次郎のデュエット曲である『銀座の恋の物語』を 春日井いつ子(達磨インコ)氏とのジュエットで熱唱したものである。 

2024年1月14日、2008年に開始された『東久留米がん哲学外来』(CAJに於いて)の後、東久留米駅前にあるEast Side カフェで定例の『読書会』(2007年開始)に出席した。『読書会』の後、隣りのインド料理店ルチアで【森尚子(春風のようなゴリラ & カバ)夫妻、西田千鶴美(ムツゴロウ)、末永佑仁(聞き上手な・セキセイインコ)夫妻、今度4月から佐賀から東京に転勤される西田千鶴美氏の甥 秋月隼人(のんきなカチガラス)氏】とwife(Penguin ペンギン)と7名で夕食の時を持った。 そこで、【『樋野先生たびの会』5周年記念『屋形船の夜』の写真集】の作成について、話が盛り上がった。

3月4日『写真集』完成との連絡を『ムツゴロウ』から頂いた。 この度『ぐしゅぐしゅ症候群』認定証(添付)が西田千鶴美氏に授与される運びとなった。
① 朝起きたらくしゃみ 10回
② 洗濯たたみながらくしゃみ 20回
③ この時期、私に寄り添うのはティッシュの箱
まさに、『屋形船の夜』の写真集は、筆者の誕生日(3月7日)プレゼントでもある! 皆様の『愛情溢れる胆力』には、ただただ感謝である。

第333回「心に咲く花会」 『本の上での先生を持とう』 〜 『逆境も順境とされる』 〜

2024年2月28日 ブログ『心に咲く花会』の担当者『春風のようなゴリラ🦍(森尚子)』氏より【只今、南原繁(1889-1974)先生と笠置シズ子(1914-1985)

さんの故郷、香川県に居ます。https://president.jp/articles/-/78749 良い所です。 昨日は、小豆島に行って来ました。】(添付)とのメールを頂いた。 大いに感激した。

筆者は、2009年南原繁の出身地、香川県の三本松を訪問したものである。 初代南原繁研究会代表の鴨下重彦先生(1934-2011)先生をはじめ、新渡戸南原基金のメンバーに同行した。 大坂峠の歌碑『幼くてわれの超えにし大坂峠に立ちて見放くるふるさとの町』の前にて、記念写真を撮ったのは、生涯の想い出となった。 峠より南原繁の『ふるさと』を望んだ。 赤澤庄三氏(新渡戸・南原賞受賞者)に案内して頂き、南原繁が卒業した大川中学校の後身、香川県三本松高校の記念館に立ち寄った。『南原繁の歩みし道』の原点の確認の貴重な旅であった。

2016年は、『南原繁シンポジウム 〜 南原繁先生に学ぶ 〜』(主催:南原繁研究会、大中三高会共催:東かがわ市東かがわ市教育委員会 後援:赤澤記念財団、香川県香川県教育委員会四国新聞社)(三本松ロイヤルホテル)に赴いた。 会場は、満員であった。 第2代南原繁研究会代表の加藤節先生(成蹊大学名誉教授)の『短歌から見た南原繁』、初代事務局長の山口周三氏の『南原繁の「ふるさと」への思い』の『純度の高い講演』は、本当に得難い学びであった。 筆者は、『今ふたたび南原繁 〜 良き師・良き友・良き読書 〜』を語った。東京から、南原繁の末っ子の娘様も出席されており、久しぶりの再会の時となった。

加藤節先生、山口周三氏は、共に生前の南原繁に接し、まさに、師弟関係である。第3代南原繁研究会代表の筆者は生前の南原繁を知らない。 京都での浪人時代に、南原繁が東大総長時代の東大法学部学生であった 予備校の英語の先生を通しての不思議な『間接的な出会い』に始まる。 それが、筆者の読書遍歴【南原繁−>内村鑑三−>新渡戸稲造−>矢内原忠雄】のスタートとなった。 まさに『本の上での先生を持とう』の心得となった。『逆境も順境とされる』である。

 

 

 

 

第332回「心に咲く花会」 『無償の愛』〜 全体的な『いたわり』の広がり 〜

2024年2月24日『ピグミーマーモセット(中野綾子氏)』から【『怪獣3姉妹』ではなく、『スルメ3姉妹』です」】と強く指導された。 想えば2月22日『がん哲学外来あびこカフェ』代表:中野綾子氏から【樋野先生 長女のスーは 『ピグミーマーモセット(中野綾子氏)』、次女のルーは『春風のようなゴリラ(森尚子氏)』、三女のメーは『狼ではなく 食いしん坊のコツメカワウソ(戸田裕子氏)』です。 三人揃ってスルメ三姉妹。 三姉妹の使命は、一度聞いただけでは わからないという樋野先生の言葉を やわらかくかみ砕いて 差し上げる事です。】との心温まるメールが届いたものである。 まさに、『無償の愛』で『心の鏡』である!

3姉妹には『スルメ症候群認定証』が授与されている(添付)。

筆者は、『日本国のあるべき姿』として『日本肝臓論』を提案している。【肝臓は、正常な時には分裂せず、静止状態にある。 しかし いざという時には再生能力抜群で、3分の2を切っても2週間で元通りになる。 異物に対しては寛容性をもつ。 だから肝移植は容易にできる。 また解毒代謝作用がある。 さらに血中を流れているたんぱくの80%は 肝臓で作られていると言われている。 日本国も肝臓のような国になれば、世界から尊敬される。 人間の身体と臓器、組織、細胞の役割分担と お互いの非連続性の中の連続性、そして、障害時における全体的な『いたわり』の理解は、世界、国家、民族、人間の在り方への深い洞察へと誘うのであろう。】という趣旨である。

【東久留米がん哲学外来ニュースレター『樋野興夫先生 古希記念特別号』】に、アメリカのワシントン州に在住の娘の文章【ドライブの途中で美しいマウントレーニアー(添付)をよく見かけますが、そのたびに父のことを思い出します。 富士山が大好きな父。 富士山に似ているマウントレーニアーを見ると よく父のことを思い浮かべます。 2つの山の裾野はどちらも広がっていて、まるで父の影響が 日本やその先に広がっているかのような姿です。】が、記載されていた。 大いに感動した。 涙なくして語れない!

 

 

 

 

第331回「心に咲く花会」 『活動の継続』 〜 医療環境の改善 〜

2024年2月21日、2009年からスタートした『柏がん哲学外来』(柏地域医療連携センター於いて)に赴いた(添付)。 2024年3月20日『がん哲学外来亀有メディカルカフェ開設記念講演会』(添付)の打ち合わせで大いに話が盛り上がった。 その後、スタッフの皆様と昼食しながら、6月27日の『15周年記念会』の打ち合わせを行なった。 大変有意義な貴重な時となった。 その後、柏駅から『宮川庚子記念研究財団』の評議員会に赴いた(地下鉄銀座線『外苑前駅』)。

【肝炎ウイルスに起因する肝炎・肝癌の研究の企画推進を図る事を通じて、国内外の学術団体との交流を図り、肝炎・肝癌研究者への助成、肝炎・肝癌の診断、予防及び治療に関する知識の普及等を実施して、肝炎・肝癌の撲滅を企図する。 宮川庚子記念研究財団は、1993年93歳で御逝去なされた宮川庚子医師を記念する研究財団です。 宮川庚子医師は女性として日本で最初に医学博士の学位を授与されております。 ― ご子息の宮川侑三内科医師の長年の肝臓病学との関わりから、1995年11月20日に当財団が設立されました。 設立当時の日本の肝臓病の現状は、B型肝炎に対する母子感染防止事業(1986年以降)の推進によりB型肝炎ウイルスキャリア数は激減し、一方、C型肝炎については輸血血液のC型肝炎ウイルススクリーニング法の進歩と医療環境の改善に伴い新しい感染者はほとんど認められなくなりました。 しかしながら過去においてB型あるいはC型肝炎ウイルスキャリアになった人は合計350万人以上でこれらの人は肝硬変、肝細胞癌に向かって進行しており日本人にとって重大な健康被害が未解決の問題として残っていました。 当財団は肝炎・肝細胞癌の制圧を主な事業目標として、― 活動を継続してきました。】と謳われている。

想えば、筆者は、医学部を卒業して、癌研で研究をスタートした。 その時の研究テーマは、『肝発がん』で、化学物質による化学肝発がん、B型肝炎ウイルス(HBV)によるウイルス肝発がん機構であった。 癌研時代に、日本で最初に『肝癌症例におけるB型肝炎ウイルスDNAの組み込み頻度と肝癌発生におけるその評価』を発表し、医学博士の学位を取得し、米国アインシュタイン医科大学肝臓研究センターに留学したのが、鮮明に思い出された。