「心に咲く花会」樋野興夫コラム

一般社団法人がん哲学外来 理事長 樋野 興夫(順天堂大学 名誉教授)コラムです

第153回「心に咲く花会」 自由にして勇気ある行動 〜 「私たちは、いまや分れ道にいる。」 〜

2021年7月14日 順天堂大学 保健医療学部 診療放射線学科『がん医療科学』(14:50〜16:20)の授業で、『沈黙の春』と「新渡戸稲造国際連盟での功績」を質問された。 大いに感激した。

 

沈黙の春(Silent Spring)』(1962年)は、「環境問題のバイブル」と言われるアメリカの海洋生物学者:レイチェル・カーソ(Rachel Carson 1907-1964)の本で『環境発がん 〜 アスベスト中皮腫〜』を研究している筆者にとっては、学びであった。 日本語翻訳は、戦後初代東大総長であった南原繁(1889-1974)のご長男:南原実 先生(東京大学教養学部 名誉教授)(1930-2013)によって出版されている(青樹簗一のペンネームの為に知る人ぞ知る)(1974年 発行:新潮社)。 筆者は、現在、3代目代表を務める「南原繁研究会」(2004年) 以来、南原実 氏とは毎年、wifeと一緒にご自宅に招かれ、夕食をしながら、親しい深い学びの時が与えられたものである。 まさに、筆者にとっては『未来に生きる君たちに』(南原実)の貴重な得難い「人生の特別ゼミナール」の対話学の実践の場であった。 最終章17章『べつの道』は、「私たちは、いまや分れ道にいる。」で始まる。 長野県にある青木湖(「青木湖学問所」)に、お住まいの南原実 先生の娘さまの『南原実回想文集』に、筆者は、「南原実 先生との出会い」の寄稿させて頂いた。 南原実 先生は、東京と長野、秋田にも、それぞれ居を構えておられた。 南原実 先生の肝いりで、秋田県北秋田市の阿仁公民館で「これからの医療を考える―がんになってもがんで死なない」シンポジウムに招かれた。 地元の特性をどう活かしていくか、まさに「地方(ぢかた)学」の実践である。 筆者は「がん哲学外来」のタイトルで講演の機会を与えられた。 会場は満員の盛況であった。 南原実 先生ご夫妻と楽しい一時を過ごした。 忘れ得ぬ人生の良き想い出である。

 

新渡戸稲造(1862-1933)の国際連盟事務次長時代 (1919-1926) の大きな功績として、「オーランド諸島の領土紛争の裁定」の解決と「知的協力委員会(Committee on Intellectual Co-operation)」を構成し知的対話を行ったことが挙げられるであろう。 世界の幸福を願い、世界中の叡智を集めて設立した知的協力委員会には哲学者ベルグソン(M.H.Bergson)や物理学者のアインシュタイン(M.A.Einstein)、キュリー夫人(Mme. Curie-Sklodowska)ら著名な有識者12人が参加し、第一次世界大戦後に困窮が著しかった各国の生活水準の調査や知的財産に関する国際条約案を検討し、各国の利害調整にあった。 1922年8月1日に第1回委員会が開催されている。 国際連盟の事務局次長であった新渡戸稲造が その事務を担当した。 筆者らは、 2012年 「新渡戸稲造生誕150周記念事業」として「21世紀の知的協力委員会」(https://sites.google.com/site/cic21st/) を設立した。

『余の尊敬する人物』(矢内原忠雄岩波新書)の「(新渡戸)博士の残した精神こそ日本国民の最も必要とするところでありませう」の言葉が、今、預言的に生きる。 「日本国の天職」の自覚へと導く。 「時代を動かすリーダーの清々しい胆力」としての「人間の知恵と洞察とともに、自由にして勇気ある行動」(南原繁著の「新渡戸稲造先生」より)の文章が思い出される今日この頃である。「国民の理想とビジョンをつくり出すのは、根本において教育と学問のほかにはない」(南原繁)。 「賢明な寛容」を備えた「真の国際性」を目指したいものである。「小国の大人物 出でよ!」(内村鑑三;1861-1930)。