「心に咲く花会」樋野興夫コラム

一般社団法人がん哲学外来 理事長 樋野 興夫(順天堂大学 名誉教授)コラムです

第241回「心に咲く花会」 座右の書 〜 『学びの原点』 〜

2022年11月3日(文化の日学士会館に於いて)開催された【第19回南原繁(1889-1974)シンポジウム『日本の近現代史における南原繁〜「明治維新から敗戦まで」と「戦後日本」における役割〜』(主催:南原繁研究会 後援:岩波書店、学士会、東京大学出版会、公共哲学ネットワーク 協賛:富山県立小杉高等学校同窓会)】の製本の『まえがき:はじめに 〜 一筋の光 〜』を『第3代南原繁研究会代表』として筆者は執筆する機会が与えれた。『南原繁シンポジウム』は、南原繁没30年記念として2004年に第1回が始まった。

 

古事記』(712年)に登場する、医療の原点を教えてくれる大国主命出雲大社から、8キロほど、峠を越えて美しい日本海に面した小さな村が、筆者の生まれ育った島根県出雲市大社町鵜峠(うど)である。 隣の鷺浦(さぎうら)地区と合わせて、鵜鷺(うさぎ)と呼ばれている。『出雲国風土記』(713年)にも登場する歴史ある地である。 今は、鵜鷺小学校も鵜鷺中学校も廃校になった。 鵜鷺小学生の卒業式で聴いた『ボーイズ・ビー・アンビシャス』(boys be ambitious)(1877年 札幌農学校のクラーク博士:1826-1886の言葉)の精神が、札幌農学校の2期生の内村鑑三(1861-1930)と新渡戸稲造(1862-1933)へと繋がり、英文で書かれた『代表的日本人』(内村鑑三著;1908年)と『武士道』(新渡戸稲造著;1889年)が、筆者の若き日からの座右の書となった。 そして、南原繁矢内原忠雄(1893-1961)へと繋がって行った。 筆者は、2007年から新渡戸稲造著『武士道』(岩波文庫矢内原忠雄訳)と内村鑑三著『代表的日本人』(岩波文庫、鈴木範久訳) の『読書会』を毎月交互に読み進めている。 これが、『学びの原点』である。

 

筆者は、2003年に『われ21世紀の新渡戸とならん』著作の機会が与えられた。 それが、2004年の南原繁研究会のスタートと繋がった。 今年(2023年)は、『われ21世紀の新渡戸とならん』(2003年発行)出版20周年記念として、新刊【『自分のオリジナルで流行をつくれ』 ~ 先人(内村鑑三新渡戸稲造南原繁矢内原忠雄)をたどる意義~ 】が企画される予感がする。 2023年2月1日はテレビ局の取材を依頼された。『もしかすると、この時のためであるかもしれない』(エステル記4章14節)を実感する日々である。