「心に咲く花会」樋野興夫コラム

一般社団法人がん哲学外来 理事長 樋野 興夫(順天堂大学 名誉教授)コラムです

第257回「心に咲く花会」 『教育者の原点』 〜 『苦痛に対する思いやり & 他人の感情を尊敬する』 〜

2023年4月3日午前 筆者は、理事長として世田谷区の経堂での恵泉女学園中高教員の辞令交付に参上した。 新渡戸稲造(1862-1933)の『優雅な感情を養うは、他人の苦痛に対する思いやりを生む。しかして他人の感情を尊敬することから生ずる謙遜・慇懃の心は礼の根本をなす』が鮮明に蘇って来た。 これこそ『教育者の原点』であろう! それから、小田急多摩センター駅に向かい、多摩市の恵泉女学園大学の2023年度入学式に赴いた。 筆者は『入学生と保護者』に挨拶の機会が与えれた。 大変真摯な『入学生と保護者』には、大いに感動した。

 

河井道(1877-1953)は、創立10周年を機に『”My Lantern”(わたしのランターン)』著した(1939年)。 筆者は『わたしのランターン』を拝読したものである。『よりよいゴールにむかって 人生の道を勇ましく前進させる』の文章が特に印象に残っている。 河井道は、1887年スミス女学校(現在:北星学園 女子中学高等学校)(北海道札幌市)に入学し、当時札幌農学校で教えていた新渡戸稲造と邂逅した。 1898年 新渡戸稲造夫妻に伴われて渡米し、ブリンマー大学に入学する。『河井道の育ての親』の箇所には、【河井道は新渡戸稲造に、プリンマー大学の入学、卒業を援護してもらってる。 その後、河井道は学校設立の為に、国際連盟事務次長(1920-1926)の新渡戸稲造に相談にジュネーブにわざわざ行った。 その時に新渡戸稲造は、『君はこれから女学校でも創立すると、その経営に苦しんで終わり、理想とする教育には手を下しえないで果てるだろう。 ほかにやる用事はたくさんにあるから、思いとどまれ』(『新渡戸博士追悼集』の河井道の文章)と言っている。 しょげて日本に帰国した河井道でしたが、あきらめなかた。 そして丁度1928年、新渡戸稲造は 台湾在住の男性からの寄贈を辞退して、台湾在住の男性に『資金繰りに困っている河井道に寄付金として送るよう』伝えた。 そして1929年 恵泉女学園を創立した。】とある。

 

入学式の後、昼食を済ませて教授会に出席した。 終了後、京王多摩センター駅から電車での帰宅中、 筆者が広報委員を務める日中医学協会から『樋野先生 HPにアップしました。https://www.jpcnma.or.jp/news/p5908/ 』との心温まるメールが届いた。 筆者の本は、既に、何冊か中国語にも訳されている。