2023年11月10日 『病理組織診断』業務を行なった。 病理学は顕微鏡を覗きながら、大局観を持つことが求められる分野でもある。『森を見て木の皮まで見る』ことであり、マクロからミクロまでの手順を踏んだ『丁寧な大局観の獲得 と 厳粛な訓練の場』でもある。
筆者は、医師になり癌研究会癌研究所の病理部に入った。 当時の所長であった菅野晴夫(1925-2016)先生は、南原繁(1889-1974)が東大総長時代の東大医学部の学生であり、菅野晴夫先生から、南原繁の風貌、人となりを直接うかがうことが出来た。 さらに、菅野晴夫先生の恩師である日本国の誇る病理学者で元癌研所長で東大教授であった吉田富三(1903-1973)に繋がった。 『がん哲学』とは、『南原繁の政治哲学と吉田富三のがん学をドッキング』させたもので、『がん哲学=生物学の法則+人間学の法則』である。 この出会いが、『陣営の外=がん哲学外来』へと展開した。 『不思議な人生の邂逅』を痛感する日々である。
『ビジョン』は人知・思いを超えて進展することを痛感する日々である。『医師は生涯書生』・『医師は社会の優越者ではない』・『医業には自己犠牲が伴う』(吉田富三)は、まさに、現代にも生きる『医師の3ヶ条』であろう。 また、【医師が患者という人間をみる『眼』の問題は、近代医学教育と、医師の修練過程のどの部分で、どれだけ重視されているのか。そこを考えると、疑問なきを得ない。】(1967年)と指摘している。
【電子計算機時代だ、宇宙時代だといってみても、人間の身体の出来と、その心情の動きとは、昔も今も変わってはいないのである。 超近代的で合理的といわれる人でも、病気になって自分の死を考えさせられる時になると、太古の人間にかえる。 その医師に訴え、医師を見つめる目つきは、超近代的でも合理的でもなくなる。 静かで、淋しく、哀れな、昔ながらの一個の人間にかえるのである。その時の救いは、頼りになる良医が側にいてくれることである】(吉田富三)
まさに、現代にも生きるの『壁を破る 希望の 言葉の処方箋』でもあろう。