「心に咲く花会」樋野興夫コラム

一般社団法人がん哲学外来 理事長 樋野 興夫(順天堂大学 名誉教授)コラムです

第329回「心に咲く花会」 『リーダーの清々しい胆力』 〜 『知恵と洞察、勇気ある行動』 〜

2024年2月14日 南原繁研究会企画委員会に、筆者は、南原繁研究会代表として、Zoom出席した。 今年、企画されているシンポジウム、シンポジスト、パネリスト人選について、議論された(昨年のチラシ;添付)。 大変有意義な充実した委員会であった。 今年は、南原繁研究会創立20周年、南原繁(1889-1974)没50周年である。

2004年にスタートした南原繁研究会 【初代代表、鴨下重彦 先生(1934年-2011年、東京大学名誉教授、国立国際医療センター名誉総長)、第2代代表、加藤 節 先生(成蹊大学名誉教授)】の3代目の代表を筆者は、2019年 南原繁生誕130周年を祝し、仰せつかった。 

南原繁は、内村鑑三(1861-1930)と新渡戸稲造(1862-1933)から大きな影響を受けた。 新渡戸稲造は、日露戦争後7年間、第一高等学校の校長を務めているが、南原繁新渡戸稲造校長時代の一高で学び、影響を受けた。  一高時代、南原繁は『聖書之研究』を読み始め、東大法学部に入学後、内村鑑三の聖書講義に出席するようになった。  東大卒業後 南原繁は、内務官僚から学者に転進し、ヨーロッパ留学を経て東大教授となり、政治学史を担当、政治哲学を深め著作を発表する。 そして戦争中は社会的発言は意識的に控え、ひたすらに学問に打ち込む。  その態度をして、『洞窟の哲人』と呼ばれたほどである。 

しかし1945年3月10日の東京大空襲の前日に法学部長に就任、日本の敗色濃厚となった中で、法学部の有力教授たちと終戦工作を相談し、重臣らと接触した。 そして戦後、東大総長に就任、国家の再建を呼びかけ、戦後改革の理想を掲げて、ことに教育改革に主導的役割を果して行く。

南原繁が東大総長時代の法学部と医学部の学生であった二人の恩師から筆者は、南原繁の風貌、人となりをうかがった。【『時代を動かすリーダーの清々しい胆力』としての『人間の知恵と洞察とともに、自由にして勇気ある行動』(南原繁著の『新渡戸稲造先生』より)】という文章が 想い出される今日この頃である。