「心に咲く花会」樋野興夫コラム

一般社団法人がん哲学外来 理事長 樋野 興夫(順天堂大学 名誉教授)コラムです

第63回『心に咲く花』南原繁 生誕130周年 〜 人生は 不思議な 出会いの連続である 〜

第63回『心に咲く花』

南原繁 生誕130周年 〜 人生は 不思議な 出会いの連続である 〜

第16回 南原繁シンポジウム「今、南原繁を読む 〜 生誕130周年に寄せて〜」に出席した(添付)。筆者は 南原繁研究会 3代目代表として「開会あいさつ」を述べる機会が与えられた。筆者は南原繁(1889〜1974)に直接逢ったことのない世代である。筆者が 南原繁の名前を初めて知ったのは19歳の時、一人の先生に出会ったことによる。その先生は 東大法学部の学生として 南原繁から直接教わり、学徒出陣をし、戦後初の東大総長時代に卒業した人物である。南原繁の「歩き方」「話し方」「話の内容」に至るまで、人となりをよく聞かされたものである。「戦没学生にささぐ」(1946年3月20日),「戦没学生の遺産を嗣ぐもの 〜学徒出陣20周年を記念して 〜」(1963年12月1日)も読んだものである。南原繁の著作に親しんで 早、約45年にもなる。人生は 不思議な 出会いの連続である。

北海道大学創立125周年で、「クラーク博士」来日125年でもある 2001年に、北海道大学での記念シンポジウムで講演をする機会が与えられたのも不思議な巡り合せであった。「クラーク → 新渡戸稲造南原繁」の流れである。「… いまや進歩した文明と大衆社会の時代において … まず同胞や社会に与える効果について考えやすい。そのために、自ら究めるべきをも究め尽くさないで、人類や大衆、いままた国家の名において呼びかけるものに、直ちに凭よりかかる傾向がある。…」(1968年;南原繁)。昔(かつて)読んだ文章が妙に現実昧を帯びて追ってくる今日この頃である。「何かをなす(to do)の前に何かである(to be)ということをまず考えよということが(新渡戸)先生の一番大事な考えであったと思います」と語り、「日本の将来の命運」をかけて「なすべきことをなそう」と「洞窟」から出ていった南原繁の「練られた品性」を静思して学ぶべき時ではなかろうか。まさに「魂を揺さぶる言葉」を語る「洞窟の哲人」出でよ!